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先日の無免許の子供のバイク運転で6人が亡くなった事故の例で中2と中3の近隣の子供たち話をするチャンスがあった。3台のバイクに7・8人だったかが乗って事故を起こした事件。その時のこと。亡くなった人は残念だが違法行為をしたのだから自己責任。罪は平等だ。悪いことと知っていたのは当然。まあ罪深いのはバイクの提供者。いや中学生はおそらく16・7の人らの誘いを断れずに面白半分に付き合ったのであろうから賠償金や慰謝料はもらえるんじゃないか。免許を大型バイクの免許は誰も持っていなかったが原付免許を持っていた人はそれなりに危険な行為だと知っていたはずだから罪は重いはず。うん 子供らは様々な意見を出す。皆は自分らとかけ離れた行動であるから一般論で別世界の少年たちの非行を非難して発言をする。 違法なことは常識的にわかっていたはず。だから全員自己責任でしょ。 まあまっとうな意見です。わたしは「自己責任」との言葉をつかった中2の男の子にわたしは関心をもった。今の中学生は議論ができるかもしれないと、言葉をさえぎってこう発言してみた。 じゃあ、知って犯した罪と知らずに犯した罪はどちらが重いのか。バイク事件を離れて。この議論をしようじゃないか。
「悪いことと知って罪を犯したのは悪いに決まっている。責任も当然重い。知らずにやってしまったのは同じ被害が起きても意図的ではないんだから罪は軽くて当然。」「見つからなければ罪じゃない」おいおい、ちゃかすな。 じゃ、赤ん坊を車においたまま日中、トイレに駆け込んだお母さんがいたとしよう、混んでいてなかなか帰れない。帰ってきたとき、子供はぐったり。社内温度と熱中症について知っていた時と知らずにいたときと、さあどちらが罪は大きいのか。 「知らない方が親として罪は大きい。そんな親には子育ての資格がない。」なるほど、知らなかったではすまされないね。でも今一度、、知って犯した罪と知らずに犯した罪との議論での答えではどう、知らずにいたから事件になったわけで知っていたなら早く帰って事なきを得たのでは. 知らずに犯した罪のほうが結果は重大だったのでは。 「時と場合、テーマによって違う」クレームがみんなから出た。 「じゃあ答えはどっちなのですか」 「それは皆がかんがえること。ただし、知らなかったから罪はないとか軽いというのはね。義務教育が終われば、それこそ習っていません、知りません」では通じなくなるから要注意」こうして中学生の皆とは離れた。おかしなおじさんと思ったでしょうが。 ウイル10月号の対談に中西輝政先生と朝日新聞元記者の長谷川氏との対談「国際共産主義に操られる朝日新聞」記事の中で中西先生が「アンウィッテング」方式について語ってみえる。対外工作で政治家文化人、ジャーナリストを動かすのに特化した戦略。ウイットとは「意識している」の意味でその反対のアンウィッテングは工作対象に気づかれないように自在に影響力を行使する手法。善意にとらえれば「もりかけ」倒閣運動も総理に改憲の道をあきらめさせる工作戦術の罠と言えるのではと指摘がある。本気で改憲反対を思う野党もいようが、野党の中でも改憲必須との信念をもつまともな議員も多数いる。 同号にて和田政宗参議院議員が「憲法改正へ機は熟した」のレポートを載せて見える。 その中で「実は憲法改正の発議の提案、即ち改正条文案の提出は憲法審査会による提出の他に、国会法によれば衆議院で100人以上の賛成、または参議院で50人以上の賛成があればできると記載されている。提出すれば国会の審議に正式にかけられるとある。いざとなれば超党派で提出も辞さずとの決意を披露して見える。橋下元維新の会代表も国民投票にかけるまで徹してみるべきと月刊誌にて主張。総裁選終了後の臨時国会での審議を成すべききょくめんでありましょう。もう待ったなしです。
北に核放棄を決断させるためにも政府の決意を示す重要な局面に立っている。政府は断固たる決意で臨まねばならない。
台風の嵐の最中であり帰宅します。
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Last updated
2018.09.04 14:23:36
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