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草莽の記    杉田謙一

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seimei杉田

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2018.10.24
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●台湾芝山巌教育の先駆者関口先生慰霊顕彰祭りを今年も実施十一月三日午後一時より西尾城東の慰霊碑前にて。今年は関口家のお墓の参拝もあります。

西尾小学校の前校長稲垣先生らも初代校長の偉大な業績を子供らに教えたいと学芸会の劇に仕上げて6年生に演じていただくところまでなしていただきました。
西尾では関口先生のことが広まり始めたのです。

今年も11月3日に慰霊顕彰祭が開催されます。詳細を再掲しておきます。ぜひご参加ください

日時

平成三〇年一一月三日(土・祝)受付一二時半から終了一五時半

第一部 慰霊・顕彰祭

  一三時~一四時 場所 顕彰碑前広場(西尾小学校敷地内・西尾資料館道路を隔てた向かい。Pあり。

祝詞奏上

玉串奉奠

奉納演奏((黒木美帆)

祭祀舞(嵐恵美子)

   移動・車で約五分 盛巌寺は駐車場が少ないため、乗り合わせて移動

 

第二(部 慰霊法要・語り 一四時三〇分~一五時三〇分 場所 盛巌寺

(0563-57-5513) 西尾市馬場町七〇

慰霊法要

語り「関口長太郎伝」    (  田中ふみえ)

お墓参り

終了後 盛巌寺にて茶話会(一六時三〇分~一六時三〇分)を予定しております。合わせてご参加くだされば幸いです

お申込み・お問い合わせ

  磯貝  090・2948・4993  FAX 0566-48-28959

 

 

1876(明治9年)熊本で起こった敬神党の決起の日。俗に神風連の乱と呼ばれる。明治政権の欧化主義に反対し、またもののふの魂とする刀を取り上げた廃刀令に対し、これを許さずと立ち上がった170名ほどの反政府蹶起。太田黒伴雄氏らが中核となり、蹶起の是非を神に問い、その大義の啓示を受けて蹶起を決断。熊本鎮台を襲撃し県庁役員や兵士らを殺害、砲兵営を制圧。翌日政府軍側は児玉源太郎ら将校が制圧軍を指揮してこれを鎮圧、蹶起軍は多くが自刃した。

敬神党側の死者・自刃者は、計124名。残りの約50名は捕縛され、一部は斬首された。政府軍側の死者は約60名、負傷者約200名という。

神風連のゆかりの地にわたしが行ったのは5年程前。
芝山巌事件で亡くなられた熊本平井数馬先生の慰霊祭の日。

神風連のゆかりの地新開大神宮、桜山神社に行く。会館には三島由紀夫先生が取材にみえた場所でもあります。

神武創業の古に改革の範をとるとの宣言を成しながら、新政権は西欧化政策に舵を取り維新奔走の志士の功を切り捨て武士のプライドたる刀をも奪う。これでは神国の復活は成しえないと同志相諮り神に祈りその神託に生死を預けての蹶起。

後、各地でも乱がおき、その最大は西郷の立った西南戦争。

勝者が正史を作るとはいえ、西郷の第2維新にせよ決して不平不満の決起ではなく国家のありようを思い、君側の奸をうち、世をたださんとする蹶起であるに間違いはなかろう。国民を思い、義を貫いた志士らの願いが「乱」としてさげすまされるのは不本意なことではないか。


 昨日こう書いた。

元県議と終わってから話したが、外国人はいいなあ、僕らが語っても聴衆はここまで納得はしてくれないと羨望と称賛の入り混じった言葉が。憲法にせよ、これを作った側の国民が言ってくれるので説得性が高まる。


しかし次の言葉をかくのをためらっていた。外国人に指摘されてそうだったのかと、感動してくださる人が出るのは良かろう。その方にとっての意識変革の契機になるやもしれないから。しかし、僕ら国思う愛国者にとってはやはり屈辱と受け取らねばならない。

ウォーギルトインフォメーションに関しても櫻井よしこさんらがすでに指摘くださっていながらその憤激をいつしか心の奥にしまい込んでおり、世人に強くアピールしてこなかったのではないか。教育勅語にせよ、五か条の御誓文にせよ、その意義を聞かれれば賛美してその精神擁護はすれど、その実践においては保守愛国を語る人士においても甚だおぼつかなき現状にあるのではないか。

郷土の勤王家、上和田城主の宇都宮泰藤のことを他町の方に聞かれても町にその資料のまとめすらなく、同じく碑文を並立する、一向一揆時に家康を守って果てた土屋長吉の碑についても知る人もなければ資料も説明文もない状態。

いやこれは自分自身についての事だが、郷土尊王家であって天誅組を支援された川向こうの深見篤慶氏の事も私が慰霊祭に参加させていただくようになったのはまだ3年。
それまでは維新に功績があった方とは知りもしなかった。

日本の変革を思って、そう三島由紀夫先生の義挙から数えてももうすぐ半世紀が過ぎようとしているのに変革の郷土の先輩諸氏を知らないで来ていた。

台湾を守れと、228事件を知らなかったとはいえ蒋介石総統を讃え共産中国に抗議していたことすらあったが、それからやはり半世紀近くを過ごしながら台湾の芝山巌教育を担って殺戮された関口長太郎西尾小校長を探し当てたのもまだ10年と立たない。

頭では西郷南洲翁を讃え、松陰先生を語り三島義挙を讃えてきたのみではなかったか。

維新の大業を語りながら身近な郷土の維新先駆者や偉人を語りもせず、いや知りもしなかった。顕彰もできようはずもなかった。要は観念だけで歴史を見郷土を愛せよと語っていただけで郷土への愛も形だけ表面だけ形だけのものだった。

改憲にせよ、皇室尊崇にせよ外国人に指摘されて重い腰を上げるようでは本気の心ではない。

「外国人はいいなあ、市民が納得して聞いてくれるから」元県議氏にこう語っていた己をまずは恥じねばならない。

改憲も維新も日本人自身の問題でありこれをやり抜くのは日本を愛する日本人自身の問題。郷土の活性化も郷土を愛する者の決意の問題。心に銘じなければと反省をした。






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Last updated  2018.10.24 17:14:40
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