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かかるとき何もせでもだにおる人は生きたる人とは言わじ
尊王学生杉田智大兄の自決は開戦記念日の12月8日。金沢の護国神社境内清水澄博士の慰霊碑の前であった。 無念極まりなき事件であった。大学でのサークルやゼミにおいても国思う主張を繰り広げられ戦後日本の堕落に怒りを抱き、占領憲法に抗議して入水自決を成された清水先生の石碑の前にて見事に切腹を成された。この衝撃はこの日が近づくたびに強くよみがえり隊だな自分の心を揺さぶるのであります。敗戦したとはいえ、日本の自存自立と大東亜解放の大義が消え去ってよいはずがない。 今年の慰霊祭の開催がいつとなるのかは連絡がないが、私は8日に慰霊に行くため、仕事を休むことにしている。なろうことなら当日に金沢の友らと会えうことができればとおもう。
人の心は移ろいやすく世は常に無常が平家物語の古えより語り継がれている。時流に乗り成功人生を歩む先輩や同志も多く見える。しかし人生の一大事を心に刻んだものにとって日々はどうあれ、原点回帰の時は必ず訪れるもの。三島森田両烈士の義挙をおもえば胸震える叫びが全身に走り抜ける。「生きて死友に背かず」の言葉がよみがえる。 大東亜の戦に出られた方が、その言葉を胸に戦後の奇跡の復興を成し遂げられた。 三ヶ根に何気なく初めてお越しになる方は、この慰霊碑群に大きな衝撃を受けられて日本のなした戦争とは何かと様々な調査研究をなされる。
日本兵がこんなひどいことをしたのだと学校教育で習おうとマスコミが書き立てようと、この静寂な地にねむられるれるあまたの将兵の事を知りいまの人生がこうした皆さんの決死のおもいで祖国を守ってくださったおかげだと気づいてくださる。命を懸けて日本を残してくださった英霊に額づいてくださる。 開戦の日を間もなく迎える。今一度先人の祖国防衛を願われた思いを心に刻みなおしたい。
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Last updated
2018.12.05 19:05:13
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