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草莽の記    杉田謙一

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seimei杉田

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2018.12.09
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本日11時より名古屋駅西徒歩5分椿神社にて南京城陥落を指揮なされた松井石根大将の慰霊顕彰祭を開催します。
その資料を記載します。
準備時間なく以前記載した文の再掲です。

松井石根(いわね)大将とは

今年の12月13日は南京入場81年の記念日。

松井石根閣下は愛知名古屋出身の大将であります。名門武将の家のご出身。閣下は理不尽な裁判で南京虐殺理由での絞首刑を執行された大将。理不尽極まり無き対応。

私どもは三ヶ根山にて松井大将をふくめた殉国七士の遺灰をおさめる墓をお守りし年一度、四月二九日に慰霊祭が開催されますのでここに参加し、また日常的に参拝や清掃奉仕などをさせていただいていますが何ともこの冤罪は情けなく思っています。

愛知には大将を偲ぶ石碑は名古屋駅西にある椿神社にあるだけだと思います。

三年ほど前に紹介いたしましたが再掲

松井石根陸軍大将の栄誉を讃え建立せられた石碑 「南京入場之感」が名古屋市中村区則武二丁目410 

碑文の正面には

南京入場之感
燦矣旭旗颺石城江南風色
忽澄清豼貅百萬軍容肅
仰見 皇威輝八綋

陸軍大臣 松井石根  とある。

裏面には
昭和十二年七月支那事変起也皇国直進膺懲の師吾郷英傑陸軍大将松井石根閣下為上海方面軍最高指揮官督戦於江南之地撃破頑敵不出九旬而陥其首都南京此詩即将軍陣中之作読者宜相伝唱以仰皇軍威武乎不朽也昔豊太閤裂明之封冊也其意欲席捲四百余州而不果焉今経三百有余年豊公之霊有知同郷英傑偉績如此其感喜果如何必膺含会心之笑於泉下也矣

昭和十四年十二月
    陸軍中将 大塚堅之助
    陸軍軍医中将 石黒大介 書
    幼友   恒川増太郎 建立 
 碑の前面には南京陥落の実を挙げたわが軍の威風堂々とした姿世界に示す責務を果たした感慨を謳った松井石根大将の歌であります。南京陥落時の作。苦しく辛き戦いを終わらせ、皇威を八綋に示すことの出来た指揮官としての安堵の思いが感じられる。
 蒋介石とも親しく、何度も密会され、この戦を双方の被害を極小にしたいと願い、首都攻防戦時ですら、敵の降伏申し出期限が過ぎてもじっと待った松井石根大将。決して軍規に背いた非道を成すなかれと厳命し、遂に南京を落としたのであります。最もよく中国に同情し、慈しんだ大将。敵兵なるも同じ人間と、戦地に倒れた中国兵の慰霊の為、熱海に興亜観音を現地の土を取り寄せ建立、其の勇敢なる双方の軍人の勇気を讃え慰霊をなされたのであります。

裏面には建立の理由が書きとめられている。
三百余年前に郷土の英雄太閤秀吉が朝鮮征伐をなしたが横柄な四百余州(中国全土)を治めるには到らなかった。しかしいま、松井石根陸軍大将閣下が上海方面軍最高指揮官となり、督戦し、中国江南の地の頑なる敵を撃破し首都南京を陥落せしめたことを褒め称えることにあった。

 しかしこの碑は今でこそひっそりながらも柵越しに目にする事が出来ますが、占領の間は隠されていたと聞く。

松井大将の揮毫にて建立されている忠魂碑などは愛知県下に数多くある。 

 ブログ「草莽の記」より再掲以上。

 そもそも松井大将は根っからの日中友好論者。

支那事変の勃発で退役されていたが上海戦を機に上海派遣軍司令官となり上海・南京を陥落させた方。実現はしなかったが京戦の戦死者慰霊祭では日中の戦死者を共に慰霊しようと提言されてもいる。

帰国後、中日の戦死者を共に祀る「興亜観音」を熱海に建立。近くに庵を建てておすみになり、毎朝観音経をあげて菩提を弔われたという。

 そんな老将。これほどの有徳の大将がなんと「A級戦犯」として逮捕されたのです。その罪状は「南京暴虐事件」俗に言う「南京大虐殺」であります。その虐殺人数はなんと30万とも40万とも。

 では実情はどうだったのか。

東京裁判において出廷した証人九名、宣誓供述書や陳述書による証言一七名、その他の文書十一通、以上合計三十七の証言・文書が、検察が提出した全証拠という。しかし、すべてが偽証罪もなきなかでの単独の人物証言。

検察は物的証拠を一点も提出していない。写真一枚すらない。裏づけの取れない証言と、作成者のわからない資料、それが証拠の全てだった。

 

これほどの事件が起きていたなら、かの国から正規に抗議や非難の声明などが出されていて当然なのだが、蒋介石も毛沢東も生前に抗議のプレス発表すらなしていない。

後にチャイナ側から出された写真資料も精査の結果合成写真や他の事件の写真などで、しかも虐殺犯人は内戦でのチャイナ人同士。

A級で起訴されながら松井大将は東京裁判においてすら「A級無罪」。

虐殺を止める友好な対策を講じなかった「不作為責任」があるとし、B級をもって死罪としたのでありました。全くのねつ造での死刑であったのです。

 松井大将は生涯を日中友好の為に尽くした人物であり、その礎石となるべく、従容として死につかれたのでした。戦後、東京裁判で松井大将はこう証言してみえるのです。「(大虐殺は)公的な報告を受けたことがなく、終戦後米軍の放送で初めて知った」と。

チャイナや華人が世界各地で南京虐殺を真実のように語り、追悼の日の制定を成したりと全く理不尽な反日歴史の固定化をなしています。







Last updated  2018.12.09 07:59:17
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