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草莽の記    杉田謙一

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seimei杉田

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2018.12.24
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国旗降納完成。2時終了。

目覚めてのち国旗の整理。朝母を見舞う。

昨夕は建国記念の日奉祝会事務局連絡会を安城市民会館にて開催。県下14会場での開催方針と日程、スタッフ移動などを確認。6時半の開始だったので参加者は10数名名と少なかったが北陸行から駆けつけてくださった方が見えたりと、皆さん各地での成功に向けて意欲の満ちた会合となった。まだ、開催可能な市議の見える都市のリストアップもあり、協力体制を組んでいきたい。

 

更にこれを受けて本日A市のM市議と電話にてお話しする。連絡会事務局がかかわる建国祭予定市町村と内容の書面を届けてくださったSさんから受け取ってくださりぜひ開催の方向で動きたいとのお話をいただく。全面的に協力を成したい。

陛下は85歳になられたご人生を振り返られて以下のようにお気持ちを語られました。

一部引用

 

平成の時代に入り、戦後50年、60年、70年の節目の年を迎えました。先の大戦で多くの人命が失われ、また、我が国の戦後の平和と繁栄が、このような多くの犠牲と国民のたゆみない努力によって築かれたものであることを忘れず、戦後生まれの人々にもこのことを正しく伝えていくことが大切であると思ってきました。平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに、心から安堵(あんど)しています。

 そして、戦後60年にサイパン島を、戦後70年にパラオのペリリュー島を、更にその翌年フィリピンのカリラヤを慰霊のため訪問したことは忘れられません。皇后と私の訪問を温かく受け入れてくれた各国に感謝します。

 次に心に残るのは災害のことです。平成3年の雲仙・普賢岳の噴火、平成5年の北海道南西沖地震奥尻島の津波被害に始まり、平成7年の阪神・淡路大震災、平成23年の東日本大震災など数多くの災害が起こり、多くの人命が失われ、数知れぬ人々が被害を受けたことに言葉に尽くせぬ悲しみを覚えます。ただ、その中で、人々の間にボランティア活動を始め様々な助け合いの気持ちが育まれ、防災に対する意識と対応が高まってきたことには勇気付けられます。また、災害が発生した時に規律正しく対応する人々の姿には、いつも心を打たれています。

 障害者を始め困難を抱えている人に心を寄せていくことも、私どもの大切な務めと思い、過ごしてきました。障害者のスポーツは、ヨーロッパでリハビリテーションのために始まったものでしたが、それを越えて、障害者自身がスポーツを楽しみ、さらに、それを見る人も楽しむスポーツとなることを私どもは願ってきました。パラリンピックを始め、国内で毎年行われる全国障害者スポーツ大会を、皆が楽しんでいることを感慨深く思います。

 今年、我が国から海外への移住が始まって150年を迎えました。この間、多くの日本人は、赴いた地の人々の助けを受けながら努力を重ね、その社会の一員として活躍するようになりました。こうした日系の人たちの努力を思いながら、各国を訪れた際には、できる限り会う機会を持ってきました。

中略

来年春に私は譲位し、新しい時代が始まります。多くの関係者がこのための準備に当たってくれていることに感謝しています。新しい時代において、天皇となる皇太子とそれを支える秋篠宮は共に多くの経験を積み重ねてきており、皇室の伝統を引き継ぎながら、日々変わりゆく社会に応じつつ道を歩んでいくことと思います。

引用以上

 

日々、今の、そしてかつての国民の幸を深くお祈りくださってご活動くださったお姿、お気持ちが走馬灯のようによみがえってきました。

大府に行幸下さったあの日、何千本もの国旗を皆で作成し用意して沿道の皆様にお渡ししてお迎えした時の事。お車からおりられたころを見諮り、皆さんと両陛下万歳を三唱申し上げて後、国歌斉唱をさせていただいた際の事です。お車から降りられて、なんと両陛下は皆さんと歌う国歌が聞こえる間中、直立なさってお聞きくださったのだと後で警備の方に伺ったのでした。それも2度繰り返してしまったのでその間ずっと直立になられていたとのことでありました。秒単位でご公務をなされる陛下に足止めいただくなどとんでもない不忠を成してしまったと大いに反省いたしました。

以来、国歌斉唱は一度だけと心に決めましたし、陛下が直立なさって国歌をお聞きになるお姿を思い、国歌を斉唱する際には最高の『気を付け』の姿を身に課すようになりました。国家とはそれほどに尊いものだとお教えいただいたと思っています。

わたしも、国事に殉じられた皆様・英霊の皆様の事を思うことはあまりないまま過ごしてきましたが、それ以降大いに反省して今も護国神社や三ヶ根山、豊橋陸軍墓地清掃など、清掃奉仕を成さねばならぬと決意させていただき今日を迎えています。

沖縄へお心を常に御寄せくださっているお姿にわが身を恥じ、貧乏家庭ながら、保育園児だった息子らをまずは沖縄慰霊の旅に連れて行ったのも陛下のお姿があったればこそでした。金なくて新婚旅行にも行かれなかった当時、しかし子らには沖縄の悲しみの地を心に刻ませておかねばと思ったのでした。子らはもう忘れているで在りましょうが。

陛下のお心に常にあるのは国家国民の幸。日本人が忘れてはならぬと6月23日の沖縄の日をお示しくださったことなどを思い返す時まさに陛下は国民道徳の鑑と痛感いたします。

さてその平成も最後の時を迎えるのです。致し方なきことと諦念するしかありません。同時に陛下への感謝の思いを一国民としてなんとしても形にしておかねば。まだ陛下御在位30年を祝い永久の日本の繁栄を願う日本の建国奉祝祭の県下開催地は愛知県下では15.6市町村に限られています。全ての市町村にて祝賀の式典を成して県民の感謝の思いを明らかにししたいと願ってきましたがまだ奉祝祭典を決めてくださったのはこの段階。本音は各市町村で市町村長を筆頭に奉賀帳を作成して宮内庁にお届けするところまでなしたい。参加者にお名前をいただき陛下にお届けしたい。

市井の一市民が願うだけで実現のめどは立ちません。

しかし、市長や市議などのご参加があれば4月半ばの奉祝の日に向けて議会での奉祝決議をあげることも、可能ならば市が音頭取りをいただき奉加帳を作成することもできるのでは。まあ来年の3月議会での議決、ないしは4月末日まで市役所で奉加帳を記載していただくなどの活動となりましょうか。

とりあえず今は御即位30年奉祝・建国記念日奉祝の国民の声を結実すべく、奉祝祭開催市町村の拡張を目指すだけであります。

全国での多くの市町村民、県民の祖国への思いを結実させるお手伝いを成すことに心と時間と少しばかりのお金を使うことに心したいと思っています。

 






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Last updated  2018.12.26 16:47:44
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