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今日は沖縄慰霊の日であった。朝一番に弔旗を掲げ英霊の御霊や戦死なされた沖縄民間人の御霊に手を合わせて慰霊をさせていただいた。 残念ながら豊田から立った特攻草薙隊の慰霊祭も数年前には終わってしまい、今は神社に立つ碑を残すのみ。市の関与する式典がなされなくなってしまうとかくも簡単に慰霊の思いを持つ方々もお集まりにならなくなり沖縄防衛の責務を担われた特攻の将兵への感謝・慰霊の姿もすっと引いてしまう。まことに残念なことであります。三ヶ根には沖縄玉砕の兵士を祭る碑がしっかり残り、ことあるごとに手を合わせさせていただきますが無念の思いばかり。やはり豊田の特攻慰霊、三ヶ根の慰霊はたとえ一人となっても続けねばならぬ、語らねばならぬと改めて思った。沖縄での慰霊祭も是非静かな環境の中で永久に続けていただきたいものです。 岡崎で戦没者慰霊祭は市もかかわって全市で7月になされ六ッ美地区の慰霊祭も11月上旬に町の総代が参加して毎年勤まります。。しかし終戦記念日には集いがなかったため数年前から僕らで岡崎城龍城神社にて始めています。参列くださる方は当日の観光客の皆さんも含めて4・50名となります。沖縄での戦没者というわけではありませんが市内の戦死なされた皆さんすべての慰霊を神式にテ行います。主催は教育を考える会と龍城神社奉賛会との共催に昨年から致しました。 多くの皆さんとともに続けていきたいものです。ちなみにこの日は三ヶ根山でも慰霊祭がなされます。同時間のため私どもは岡崎が終わってからの賛歌です。 沖縄戦であれほど悲惨な民間人虐殺を成したアメリカとも今では最大の同盟国となっている不思議さ。戦後マッカーサーが大東亜の戦を米国議会委員会で日本の自衛戦争であったことを明言していますがマッカーサーが気付くのが遅すぎた事が悔やまれてなりません。あれだけの情報量を誇る米国が共産国家の危険性を理解していなかったことが不思議でなりません。共産主義者が米国中枢に入り込んでいて結果かかる悲惨な行為に米国が走ってしまったのでしたがしかしかつての敵国とここまで協調できるようになったのは戦後の先人たちの努力のたまものであることは間違いない。 この新たな絆をより強くしてアジアの、世界の安定に努力することが沖縄にテ命を落とされた皆さんへの鎮魂と慰霊行為であるといえましょう。 改めて沖縄を守る為に命を投げ出された幾多の青年将兵の御霊に感謝の意を差表したい。
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Last updated
2019.06.23 23:38:05
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