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草莽の記    杉田謙一

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seimei杉田

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2019.07.10
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夕刻、中2生と話す機会があった。学校の地理学習で今日、ヒロシマの授業を受けたという。地理で原爆の授業とは不思議だなあとおもい、どんな授業かと聞くとこれが面白い。大東亜戦での日本側の主張とアメリカ側の主張との対峙を成してディべートをしたというのだ。どちらの立場で話したのかを聞くと日米にわかれたので代表者にその主張を聞いた。日本が真珠湾攻撃を始めたのは悪いことだが、あくまで軍人への攻撃。ヒロシマ原爆は民間人虐殺で許されることではないとの主張。これはすごい。では君はと問うと、原爆は悲惨だが、落としたことで日本は戦争終結が早まった。原爆がなければどれだけ多くの日本人が殺されたかわからない。悲惨だが仕方ないのではとの意見。で、先生はどういわれたのか聞くと「両方とも正解。自分で考えることが大切」とのまとめをされたのだそうな。

 私は果たして戦争を起こしたのは日本と言えるのかと疑問提示。オレンジ計画をアメリカが組んだのは日露戦争直後。日韓併合も大反対の伊藤博文公の暗殺と、100万人の合邦希望署名があり致し方なく実施。日本の莫大な財力をつぎ込み24歳の平均年齢を50歳ほどに引き上げ、ハングルを復活して5000余校の学校をたてて教育。産業を興しファミリーネームの氏を決めさせて戸籍を整備した。満州も安全な地に変え、五族協和の満州国を支援。マッカーサーの「日本の自存自衛戦争」主張を紹介。ハルノートを示して日本とアメリカどちらが好戦国かを考えるべきと語る。またではなぜに二度も原爆を落とす必要があったのか。ウラニウム型とプルトニウム型の二種類の殺戮能力の実験を日本人でおこなったと語っておいた。

デイべート教育は有効ではあるが、先生が提示なされる資料があまりに表層的であることが疑問。

中学生は「ハルノートを調べてみます」と語り、話を終えた。生徒さんにとっては驚きの歴史でありましょうが、東京書籍の教科書ではここまでが精いっぱいでありましょう。しかし、ネットの世界が子供たちにはある。本来の戦争体験者(被害者でなく)が泉下の人となられても正しく語る資料は子供たちの前に開かれている。これはありがたいことだと思いながら分かれた。

 今の韓国の主張の異常さを語ったとき生徒さんらはすぐに同感してくれた。

ホワイト国から一般国への格下げは子どもたちを歴史にいざなう絶好の教材といえよう。

 

朝7時より資源ごみ回収。公民館の前でおこなうのですが、この公民館の入り口にスロープが完成したのでゴミ捨てにみえた方とその話題でお話をした。

公民館は町内の建物ですがその土地はお寺の所有。町内会費から年額数万円の地代代わりにお布施を出している。また、上和田町は大久保一族の発祥の地でもありますのでその記念碑や三河一向一揆時に家康を守って身代わりとなって死んだ土屋長吉、明治初期の用水の整備に貢献された篤農家、杉田三郎の3名の顕彰碑があり、それが公民館の敷地内にある。寺の敷地を借りて建立されているが、この石碑の管理責任は町にあり、その地代相当額も併せてお寺の御布施となっている。

更にお地蔵様。元は他の地にあったものでこの宗派とは無縁の地域の地蔵。管理委託は町内の地蔵係で宗派には一応無関係であるわけですがここに移転してきた関係上、この宗派の僧侶にお祭りいただいている。

今の公民館の地は、以前は上和田城の跡。その建立者は宇都宮泰藤公。建武の新政時の後醍醐天皇に付き従った人物。新田義貞公とともに建武の新政政権側に立った方で義貞公の亡きあと、その首を群馬に運ぶ際に近くの犬頭神社に隠し足利の目を欺き犬の頭を祭る祠として祭る。家督を息子に譲り仏門に帰依して義貞公の塚を守る。その宇都宮家はのちに宇津と改称さらに大久保家を名のる。大久保彦左衛門もこの上和田城で生まれた。大久保家は岡崎を離れ家康に付き従う。小田原城主も務めることになった。

そんな話をしながら資源ごみチェックをしているとまた授業ですかと他の方がペットボトルの袋をもってにこやかにされている。こんな話ばかりしているわけではないが、町内の方に地域の歴史を知っておいていただかねば。

後、わが家の不要な石などを最終処分場に運ぶ。今日で4日目。一日300キロの制約があり、処分には2週間はかかりそう。しかし何とか見通しがついたことがうれしい。

 







Last updated  2019.07.10 22:56:19
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