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今日はオーストラリアシドニー湾への特殊潜航艇の攻撃の日であります。
wikiの記事によれば シドニー港攻撃を実施した部隊は、真珠湾攻撃でも「特潜」部隊を率いた佐々木半九大佐が指揮官。 1942年(昭和17年)5月31日17時20分、「特潜」3隻はシドニー港外に進出した母潜から出撃した。 伊22の松尾敬宇艇、伊27の中馬兼四艇、そして伊24から伴艇という順序である。 中馬艇が防潜網にスクリューがからまり、中馬と大森猛(艇附)は艇を自爆させ自決。 松尾艇は哨戒艇や駆潜艇の攻撃をかわし、出港しようとしていたシカゴの雷撃を図ったが、発射管故障により発射することができず、松尾艇は同艦へ体当たりを行った。しかし小接触におわり、頭部の魚雷は爆発せず、松尾と都竹正雄(艇附)は艇内で自決した。 伴艇は米重巡洋艦シカゴに接近しつつあったが、見張員に発見され対空砲による砲撃を受けて損傷する。このため一度退避してから、シカゴに魚雷2本を発射した。1本はシカゴ付近を通過して岸に乗り上げ不発に終わり、他の1本はシカゴとオランダ潜水艦K IX(K IX)の艦底を通過したのち、宿泊艦クッタブルの下で岸壁に当たって爆発。同艦は沈没し、21名(または19名)が戦死した。 記事転載以上 中馬艇と松尾艇は引き上げられ、1942年(昭和17年)6月9日、シドニー近郊のロックウッド・クリマトリア斎場にて遺体は海軍葬をもって葬られた。 シドニー市内では彼ら敵国の軍人を丁重に弔うことに反対の声も大きかったが、オーストラリア海軍司令官・ジェラード・ミュアヘッド=グールド(英語版)少将は部下に対し、以下の様に演説した。 「私は敵国軍人を、海軍葬の礼をもって弔うことに反対する諸君に聞きたい。 勇敢な軍人に対して名誉ある儀礼をつくすことが、なぜいけないのか。 勇気は一民族の私有物でもなければ伝統でもない。 これら日本の海軍軍人によって示された勇気は、誰も認めるべきであり、一様に讃えるべきものである。 このような鉄の棺桶に乗って死地に赴くのには、相当の勇気が要る。 これら勇士の犠牲的精神の千分の一でも持って祖国に捧げるオーストラリア人が、果たして何人いるであろうか」 勇者は敵兵なりとも勇者の心を称え礼儀をもって対処する。ペリリュー神社に「諸国から訪れる旅人たちよ この島を守るために日本国人がいかに勇敢な愛国心をもって戦い そして玉砕したかを伝えられよ」の文を残した 米太平洋艦隊司令長官ウィリアム・ニミッツ提督しかり。まともな国の軍人は勇者の心に応える。日本の武士道に似た精神を彼らも大切にしているのである。
此の伴艇の艇長が伴勝久少佐。没年齢は25歳。今日がご命日のため愛知県内高浜市の市役所近くの観音寺に慰霊に一人、行かせていただいた。小高い丘の上に立つ観音寺には立派な観音様が立てられて遠くからもよく見える。 しかし道が入り組んでおりなかなかたどり着けない。女子高生に案内していただきやっと現地に。 立派な碑が立てられている。建立は昭和26年。遺体も沈没した伴艇も見つからない中、ご両親の手で建立されたもののようであります。 殉國義士碑 の裏面には 故陸軍大尉伴 正巳大尉と 故海軍少佐伴 勝久少 佐の略歴が掘られていた。 弟さんでありましょう正巳氏はミャンマーのインパール作戦にも従軍されたと会った。19年、23歳の若さで切り込み隊隊長としてお亡くなりになられた勇敢な陸軍大尉。 お二人を日本のために送り出されたご両親。それを思うとまことに哀しくしばし呆然とたたずんでいた。
伴艇はシドニー攻撃の64年後、平成18年になって発見された。中日新聞記者、東京新聞文化部次長を経て作家になった豊田穣氏は海兵の同期生。発見出来次第引き上げを段どりされていたという。 しかしご家族の意向で引き上げはされず、海底にてそのまま永遠の墓となる。豊田氏は「小説東京裁判」(昭和58年発行)の著者でもあります。。 勝久氏は刈谷中学の御卒業。300人クラスであった海兵68期生であった。 68期生288名は大東亜戦争で200名の戦死者を出した。戦死率は69.4%、ものすごい比率であります。 三河の偉人でありますので先輩に、何とか慰霊祭がなせないかを打診したが 大げさにした訓愛とのご家族の御意向だそうで僕らは断念した経緯がある。
しかし心ある方にはぜひご参拝いただきたいものです。
帰宅が4時。やっと雨が上がったのでヒャクニチソウを10数本もって三ヶ根に。 此の激しい雨でひまわりの苗が2・3割倒れてしまっている。必死に土を集めてとりあえず立たせたがだめかもしれない。 作業を中断して上に上るとSさんご夫婦が作業をなされている。久しぶりに畑の様子を見ていただく。気に入っていただけた。でもこれだけ手を加えてしまうと、武漢コロナが終息すると杉田さん、また忙しく走り回るでしょうからどうするのときついお言葉。何とかするよとは言ってはみたものの、今のように毎日水やりが出来ようはずもない。まあその時はその時。何とか友が増えるでしょう。希望的観測ですが。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2020.05.31 21:50:28
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