草莽の記    杉田謙一

2020/08/01(土)23:24

清国ニ対スル宣戦ノ詔勅

  アジアの平安を築くためにかつて日本は大国チャイナに挑んだ。朝鮮を永遠に支配下に置かんとする清国の非を訴えて果敢に挑んだ日清戦争。帝国主義国家の支配下にあった朝鮮を国家として自立させ、ロシアの圧力から自由にさせるにはたとえ大国チャイナといえども非を正させねばならない。 朝鮮の独立こそがアジアの自立を守る道。しかし朝鮮を支配下に置き続けたいチャイナは日本との共同支援での国家改革を好ましく思わず現状のままに於こうとした。それでは大国に翻弄される朝鮮の民に未来はなく、同時に日本にとっても事大主義の朝鮮では東アジアの自立は成しえず日本国家の安寧も図りえない。ついに日進両国は対峙することに。明治二十七年の今日、八月一日強のことであった。 最大のテーマは朝鮮の清国からの独立。 以下、ネット記載の開戦証書を読み直す。 清国ニ対スル宣戦ノ詔勅 <読み下し文> 天佑を保全し、万世一系の皇祚(こうそ)を践(ふ)める大日本帝国皇帝は、忠実勇武なる汝、有衆(ゆうしゅう)に示す。 朕(ちん)、茲(ここ)に清国(しんこく)に対して戦(たたかい)を宣す。朕が百僚有司(ひゃくりょうゆうし)は宜(よろし)く朕が意を体し、陸上に海面に、清国に対して交戦の事に従い、以って国家の目的を達するに努力すべし。苟(いやしく)も国際法に戻(もと)らざる限り、各々(おのおの)権能に応じて、一切の手段を尽すに於(おい)て必ず遺漏(いろう)なからんことを期せよ。 惟(おも)うに、朕が即位以来、茲に二十有余年、文明の化を平和の治(ち)に求め、事を外国に構うるの極めて不可なるを信じ、有司をして常に友邦の誼(よしみ)を篤(あつ)くするに努力せしめ、幸(さいわい)に列国の交際は、年を逐(お)うて親密を加う。何ぞ料(はか)らん。清国の朝鮮事件に於ける、我に対して著著鄰交(ちゃくちゃくりんこう)に戻(もと)り、信義を失するの挙に出でんとは。 朝鮮は、帝国が其(そ)の始(はじめ)啓誘(けいゆう)して、列国の伍伴(ごはん)に就(つ)かしめたる独立の一国たり。 而(しか)して清国は、毎(つね)に自ら朝鮮を以って属邦と称し、陰に陽に其の内政に干渉し、其の内乱あるに於て、口を属邦の拯難(じょうなん)に籍(し)き、兵を朝鮮に出したり。 朕は、明治十五年の条約に依(よ)り、兵を出して変に備えしめ、更に朝鮮をして禍乱(からん)を永遠に免れ、治安を将来に保たしめ、以って東洋全局の平和を維持せんと欲し、先(ま)ず清国に告ぐるに、協同事に従わんことを以ってしたるに、清国は翻(ひるがえっ)て、種々の辞抦(じへい)を設け、之(これ)を拒みたり。 帝国は、是に於いて、朝鮮に勧(すす)むるに、其の秕政(ひせい)を釐革(りかく)し、内は治安の基(もとい)を堅くし、外は独立国の権義を全くせんことを以ってしたるに、朝鮮は、既に之を肯諾(こうだく)したるも、清国は終始、陰に居て、百方其の目的を妨碍(ぼうがい)し、剰(あまつさ)ヘ、辞(ことば)を左右に托(たく)し、時機を緩(ゆるやか)にし、以って其の水陸の兵備を整え、一旦成るを告ぐるや、直(ただち)に其の力を以って、其の欲望を達せんとし、更に大兵を韓土に派し、我が艦を韓海に要撃し、殆(ほとん)ど亡状を極めたり。 則(すなわ)ち、清国の計図(けいと)たる、明(あきらか)に朝鮮国治安の責をして、帰する所あらざらしめ、帝国が率先して、之を諸独立国の列に伍せしめたる朝鮮の地位は、之を表示するの条約と共に、之を蒙晦(もうかい)に付し、以って帝国の権利、利益を損傷し、以って東洋の平和をして、永く担保なからしむるに存するや、疑うべからず。熟々(つらつら)其の為す所に就(つき)て、深く其の謀計の存する所を揣(はか)るに、実に始めより平和を犠牲として、其の非望を遂げんとするものと謂(い)わざるべからず。 事既に、茲に至る。朕、平和と相終始(あいしゅうし)して、以って帝国の光栄を中外に宣揚(せんよう)するに専(もっぱら)なりと雖(いえども)、亦(また)公(おおやけ)に戦を宣せざるを得ざるなり。汝、有衆の忠実勇武に倚頼(いらい)し、速(すみやか)に平和を永遠に克復(こくふく)し、以って帝国の光栄を全くせむことを期す。 (御名御璽) 明治二十七年八月一日 <現代語訳> 天の助力を完全に保ってきた、万世一系の皇位を受け継いだ大日本帝国皇帝(明治天皇)は、忠実にして勇武なる汝ら、国民に示す。 余は、ここに、清国に対して宣戦を布告する。余の政府関係者・官僚・役人のすべては、宜(よろし)く余の意志を体し、陸上にあっても海上にあっても、清国に対しては、交戦に従事し、それをもって国家の目的を達成するよう努力すべし。いやしくも国際法に抵触しない限り、各員、その立場と能力に応じて、あらゆる手段をつくして漏れ落ちるところの無いように心を定めよ。 余が深く考えるに、余の即位以来、二十有余年の間、文明開化を平和な治世のうちに求め、外国と事を構えることは、極めてあってはならないことと信じ、政府に対して、常に友好国と友好関係を強くするよう努力させた。幸(さいわい)に、諸国との交際は、年をおうごとに親密さを加えてきた。どうして、予測できたであろうか。清国が、朝鮮事件によって、わが国に対し、隠すところのない友好関係にそむき、信義を失なわせる挙に出ようとは。 朝鮮は、帝国が、そのはじめより、導き誘って諸国の仲間となした一独立国である。しかし、清国は、ことあるごとに、自ら朝鮮を属国であると主張し、陰に陽に朝鮮に内政干渉し、そこに内乱が起こるや、属国の危機を救うという口実で、朝鮮に対し出兵した。 余は、明治十五年の済物浦条約により、朝鮮に兵を出して事変に備えさせ、更に朝鮮から戦乱を永久になくし、将来にわたって治安を保ち、それをもって東洋全域の平和を維持しようと欲し、まず清国に(朝鮮に関しては)協同で事にあたろうと告げたのだが、清国は態度を変え続け、さまざまないい訳をもうけて、この提案を拒んだ。 帝国は、そのような情勢下で、朝鮮に対して、その悪政を改革し、国内では治安の基盤を堅くし、対外的には独立国の権利と義務を全うすることを勧め、朝鮮は、既にその勧めを肯定し受諾したのにもかかわらず、清国は終始、裏にいて、あらゆる方面から、その目的を妨害し、それどころか(外交上の)言を左右にしながら口実をもうけ、時間をかせぐ一方、(自国の)水陸の軍備を整え、それが整うや、ただちにその戦力をもって、(朝鮮征服の)欲望を達成しようとし、更に大軍を朝鮮半島に派兵し、我が海軍の艦を黄海に要撃し、(豊島沖海戦で日本海軍に敗れ)ほとんど壊滅の極となった。 すなわち、清国の計略は、あきらかに朝鮮国の治安の責務をになうものとしての帝国を否定し、帝国が率先して、独立諸国の列に加えた朝鮮の地位を、それらを明記した天津条約と共に、めくらましとごまかしの中に埋没させ、帝国の権利、利益に損害を与え、東洋の永続的な平和を保障できなくすることにある。これは疑いようがない。よくよく清国の為す所に関して、そのたくらみごとのありかを深く洞察するならば、実に最初から(朝鮮はじめ東洋の)平和を犠牲にしてでも、その非常なる野望を遂げようとしていると言わざるをえない。 事は既に、ここまできてしまったのである。余は、平和であることに終始し、それをもって、帝国の栄光を国内外にはっきりと顕現させることに専念しているのではあるけれど、その一方で、公式に宣戦布告せざるをえない。汝ら、国民の忠実さと勇武さに寄り頼み、速(すみやか)に、この戦争に勝って、以前と同じ平和を恒久的に取り戻し、帝国の栄光を全うすることを決意する。   (御名御璽) 明治二十七年八月一日   日本が勝利することで朝鮮の独立はなり、同時に台湾の民度向上及び経済発展がなされていくことになった。   対比すべきは大東亜の敗戦。チャイナが一気に共産化し、南モンゴルの防衛も、満州民族の国家づくりもすべてが水泡に帰し、巨大なチャイナの支配下に置かれた。親日チベットも今日の如き弾圧を受け、亡命政権はインドに。ウイグルもコレラ家の民族浄化の嵐の中に落とし込められている。日本敗戦、占領統治受諾の弊害はアジア諸国への絶大な苦難を与えてしまった。日本の敗戦の責任は実に重いことが明瞭となっている。 日本人は満州南モンゴルウイグルチベットの今日の苦難の責任をどう思っているのか。日本人として生きた台湾国民のチャイナ脅威からの苦悩を傍観してよいはずはない。 香港の五十年の自立の約束、国民の自由意思を壊そうとするチャイナに条約締結国イギリスの怒りは大きい。同時に一国二制度はチャイナの国際条約。この反故をめざすチャイナに対しては世界が責任を共有し是正に動かねばならない。 日本のみが我関せずとチャイナ不法行為に目をつむって、経済のためチャイナの帝国主義を放任してよいはずはない。 日清戦争に打って出た日本の歴史を振り返るとき、アジア共生の気概を持った明治の国民の気高さに羨望の思いが募る。 武漢ウイルスを糾弾せず、チャイナへの忖度をなし続けるマスコミや政権。 国民の本音はウイルス兵器研究のチャイナに真相究明を迫るべしとの主張にある。しかしあきらめなのかその声をマスコミは拾わず、政府への批判の大合唱のみ。マスコミの気概はどこに行ったのか。 愛知県知事リコール運動もマスコミは全く取り上げず、知事のなした反日展示の県税使用に批難の声をあげぬばかりか昭和天皇のお写真をやき、灰を足蹴にするのを芸術として称賛した展示内容などを知らせることすらなそうとしない。 日本が欲望国家にどんどん陥っていくのは見るに忍びない。 電話にて市民運動も重要だが、状況に流されず日々成すべきは日本人の魂の復活に向けた地道な教育活動と敬愛する教授から突然電話をいただく。これをさぼるつもりは毛頭ないのです。先生に託された調査も急ぎ成すことを申し上げる。 今日は友と豊田市を回る。久しぶりに識者と話をする。明日は朝市で豊橋へ、昼には三ヶ根の花壇の花上の応援。3時からはごこく神社にてなされるリコール支援集会に行く予定。

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