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草莽の記    杉田謙一

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2020.08.02
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死生観につき

今年は三島由紀夫先生森田必勝先生の自決50年の年。月日の過ぎるのはあっという間であります。そう、三島先生が自決なされたのは昭和45年11月25日のこと。当時高校生であった僕らにとっては生死を自らに問う空気が流れていた。

部活の先輩が安保のビラまきで卒業が危ぶまれもしていたし、親からは学生運動を決してするなと厳命も受けていた。町内のだれだれさんは活動に走り、あれだけ頭がよかったのにまともに就職ができなかったなどの話題が語られ何とか思想にかぶれないようにと両親から良く聞かされもしていた。

しかし若さはいかんともしがたい。高校では三島先生の追体験として同級生とボディビル同好会を作り授業後に体育館でバーベルを持ち上げていた。

親の反対で防衛大学校への入学を辞退して名古屋大学に入った。

大学入学後も三島先生の義挙につき思いは常に身に迫っていた。

その中で水俣を戦う新左翼のメンバーと意を通じることも多々あった。彼らとさらにまともな民青諸君を含めて三島森田両烈士慰霊祭を護国神社で行った。下宿襲撃を恐れて緊張の中で日々の生活をなしていた。そう大学教授の多くはマルキスト。教授とも大教室での講義中に議論を吹っ掛けもしていた。僕らが発行した資料集に対して教授からの侮蔑に対して私からの反論なのだが。この一件でこの教授は以後学生からの質問や抗議は受け付けないと言明する事件も起きた。勝利感に酔いしれもしたが。

そのころ私は辞世の句を決めていた。

 

葉隠れを読めば「武士道は死ぬことと見つけたり」とある。「迷うなら死を選べ」と読んだ。「いかに生きるべきかではなくいかに死ぬべきかをおもえ」先輩の教えであった。当時は先輩の力量や姿勢がどれほどのものか判断することなどできず皆すごい人ばかりだと思い込んでいたので思いは大きく揺れた。パレスチナ解放のために戦士たるべしの講義にふらつきもし、いやそうではない日本の維新が先だとの路線対決が先輩の中でも起きた。結局は私と数人の友は日本変革のセクトに所属することになった。パレスチナに走った先輩や後輩とは以後無縁となるのだが。

三島先生の自決は昭和四十五年、すなわち四十五歳。私が此の四十五歳の年を迎えたとき、荒れたのを覚えている。生きていていいのか。この年までになすべきをなすと決めていたのに。運動の中で友の何人かが自ら命を絶っていた。

武士道の死生観は到底私には守れないと悟った。

死して不朽の見込みあらばいつでも死ぬべし
生きて大業の見込みあらばいつでも生くべし

松陰先生の言葉であります。此の言葉もあるではないか。

無論大業などは無理だろうが小業ならば努めて止めなかったら私にもできるかもしれない。

 

さて、両烈士義挙50年、僕らにとってもさすがに大きな年であります。

その年に李登輝先生も逝かれてしまった。

目の前には大村大逆事件の決着が待っている。これを何とかしなければ日本人として生きる権利もないのでは。

 

今日の山下氏の講演は自分らに原点を見据えよという大きな示唆があった。

自分なりの自負ではあるがチャイナや反日勢力の攻勢にはすべてこれをはねのけてきた思いがある。これは今日の山下氏の指摘そのもの。名古屋の中国領事館撃退運動も、犬山春節祭の縮小もそうだ。

さらに言えば奉迎活動や国旗掲揚運動も、細かいところでは愛知県内すべての朝鮮総連建物の課税にしても外国人参政権賛成の市町村決議のひっくり返しも祝日国旗掲揚運動の実践にしても他県には負けるつもりはない。大村氏の皇室侮辱に対しては今年の2月の建国祭を県下16か所で実施していただいたりと県民の意思の表現を成しえたことなど。

渡邊なる人物による南京虐殺演劇のボイコット運動も先鋭的に愛知で起こした。慰霊にしても豊橋陸軍墓地や名古屋陸軍墓地での清掃と慰霊、三ヶ根山での異例の取り組みと清掃および花壇の構築運動なども何とか成しえた。尖閣防衛の市議会決議や陛下の御即位三十年賀詞決議、ご即位賀詞決議も他県に負けずに成しえたし岡崎での大正天皇の悠紀斎田の全国放映など大嘗祭成功への運動や昨年陛下の七宝町・尾張旭・岡崎御行啓感謝の国旗奉迎や1000本を超す陛下ご即位30年奉祝垂れ幕掲揚運動なども愛知が全国を引っ張ってきた自負がある。

無論これらはすべて愛知の保守の皆さんの英知と行動力のたまものである。

しかしなんと大村知事の反日大逆事件が。何たる不覚か。

 

しかし今日の桜華会館での講演は実に感動的なものであった。

かかる勤王の志士が今にいてくれるとは。

 必ず勝利を手にしなくてはならない・昨日リコール申請をなされ選管受理。よって早ければ開始は8月十五日の模様。いよいよです。

 

 

さて今日は朝6時出。時過ぎから豊橋の陸軍墓地清掃に。11時から三ヶ根花畑整備。3時から名古屋講演会参加。帰りに乗船していくと若き女性が車の窓から身を乗り出して「がんばってください」の笑顔と写真撮影。うれしかったですね。

 

 







Last updated  2020.08.02 22:08:42
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