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岡崎市議会9月議会が開始されるので、その前に改装中のせきれいホールに国旗市旗掲揚塔建設の陳情の趣旨を各会派のリーダーにお伝えしようと市議会各会派事務局に出かける。まず、副議長の加藤先生にお会いし善処を願いする。 各会派代表の諸先生にも趣旨説明をと事務局を通じて面会をお願いしたが、 すでに国旗掲揚塔建立趣旨は分かっているからとの各会派からの返事であった。各会派とも議会後の解散があり、忙しそうでお会いしてはいただけなかった。 会派の話はどうかを知人の議員に伺うと、皆さん驚きで今までなぜなかったのかとの質問が出るほど。成立の期待感は高まる。先生にはできれば今上陛下皇后陛下の岡崎行幸記念の文字が入らないかも頼んでおいた。
それにしても市の施設に今まで掲揚塔がなかったことこそがおかしい。私は当然ながら何年も前から建設を頼んでいたのでまさか建立予定がないなど思ってもいなかった。タイムリミットぎりぎりに未計画と知り、急いで陳情を間に合わせたため、議会と十分な打ち合わせができていないのが現実。何しろ予算がかかわる事項でありまさかとは思うが安心はできないのだ。
母を連れて三ヶ根に走る。先回も連れてきたが、また一段と整備されているのを見て喜んでもらう。すぐに座り込んで草取りを始めるので大弱り。よってホースでの水かけの仕事を手伝ってもらう。あまり動かずに済むから。
一応の仕事を終えてのち ゆうとぴあへ。母も十数年ぶりに立ち寄ったという。支配人の伊藤さんも母の当時のことを覚えていてくださり良き旅行となった。
一か月ごとの情宣許可証の交付を受けに岡崎署に出向く。いよいよリコールが始まる。23日には友がテープにアナウンスを吹き込んでくれるのでやっと情宣も楽になる。ありがたいことです。
夕刻町内の役員会が。仕事を中断して駆けつける。「上和田町の歴史」冊子の補足パンフができたので。さっそく印刷に入る。まだ訂正があるかもしれないためとりあえず部を印刷した。地図や写真が入りさらに町の古代からの地形変遷なども加えた大作である。24日のお地蔵さん祭にお配りしたいものである。
戦艦大和の東海顕彰会だったか、その主要スタッフの方から岡崎の埋もれた戦跡の調査をしたいから協力をとの要請あり。すでに岡崎郷友連盟は解散し軍歴を持たれる方はほとんどいない。わが町内の千軒でもご存命はお一人だけ。困ったが調べられるだけ調べてみたいものであります。
明日は父の月命日、お寺さんにお参りいただくので仏壇の飾りをなす。
24時間営業の安売りスーパーが幸田町にあるので、今から地蔵祭のお供物を購入に行く予定。いつもぎりぎりの作業でありこの性格が恨めしく思う。
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Last updated
2020.08.21 23:40:43
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