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午前、8時半より父親の月命日の法要。お寺さんに経をあげていただく 明日は町内浄土真宗のお東さんお西さんの門徒の家69軒の戸主の方をお招きして祠堂法要がつとまる。その準備に花を生け仏具を磨いてくださる10名の女性陣にご挨拶に行き作業を見ながら供物の袋詰めなどを行う。此の当番はこれで3年。やっと来年度は役が外れる予定でありますが。それまではしっかり務める所存。
とはいえこれだけコロナの拡大があるためどれだけの方がお見えになるかは皆目見当がつかない。お見えにならなければ各ご家庭に供物のお下がりを配布しなくてはならない。
昼からはリコール情宣。しかし不思議な動きがある。いまだ知事は何らの反省の意を表していず、情況は変わらないばかりか、愛知での県税を使っての皇室侮辱の事実を成果として反日諸氏がドイツなどにて同様の侮蔑取り組みをなしているにかかわらず、抗議情宣なりをなさしめないための動きが生まれているようだ。それも愛国者と信じる方の中で。 僕らの取り組みは日本を日本たらしめるために成しているもの。建国の講演会もそうである。ちなみにここ1・2年での建国や皇室にかかわる僕らがなしてきた岡崎中心の運動をふりかえると、上皇陛下のご即位30年の奉祝行事にては奉祝記念講演会【講師赤塚高仁先生】3月議会にては市議会の賀詞決議をなしたこと、奉祝のぼりを1000本作製配布をなしたこと。奉賀帳記帳活動は1000名を超えた。また、今上陛下ご即位奉祝行事としては昨年5月にはご即位奉祝のぼりを作成し康生通りに1っ週間掲揚。奉賀帳記帳は3000名を超した。布製の小旗の配布は岡崎城龍城神社にて500本ほど。6月議会にはご即位賀詞決議をあげた。今上陛下ご即位時には陛下がご即位後初めての公式行事として愛知の尾張旭市の全国植樹祭にお出ましになられましたが、その前日のあま市七宝町での芸術視察には7000本の国旗を作り皆様と奉迎申し上げた。翌日には植樹祭を午前中にお済ませになられた後、昼からは戦後初めて皇室として岡崎に行幸くださり福祉施設の青い鳥に行幸啓いただきました。その感謝のために奉迎ルートの草取りや土木作業などを必死に行い奉迎地の拡張をなした。当日の沿道に手の奉迎には1万2千本の国旗を作り配布させていただいた。行幸感謝祈願祭・講演会を龍城神社にて行い、各界の代表者や近隣の市議会議長はじめ有識者のご参加を受けた。皆様に玉ぐし奉奠を行っていただきましたが参加者の皆さんの数は拝殿内にはいれないほど。場所を改め一般参加者とともに講演会開催、講師は小名木善行先生。 さらに大嘗祭の国事行為化を実現するために前年には京都での展示会に友らと参加し、岡崎では大正天皇の悠紀斎田お田植祭りの当日には所功先生をお招きして80名での講演会をも実施したのです。 京都での大嘗祭展示と食事会には大正天皇のご即位時のコメ「万歳」を送り食事会に食していただきもした。悠紀・主基サミットの明治神宮での大会への支援もなし岡崎からは6名のご参加をいただきもした。 皇室の尊厳をお守りすべく本気で動き回ってきたのでした。 宋建国記念日には愛知県下16会場にて講演会が実施できるように微力ながら努めました。 それなのにご即位直後のトリエンナーレ。 これには断じて許せない思いがあり、再開がなされた日から毎日抗議に会場に詰め掛けて是正を求めてきたのでした。推進派の男性に友が殴られて負傷した事件も起きたのでしたが東海テレビは僕らが反便だと虚偽報道。、抗議に徹してやっと8秒間でしたがお詫び訂正の報道までは成し遂げました。
そして待望の一年がすぎてリコール運動が高須院長の呼びかけで開催され全力で支援をさせていただきました。
いよいよ10月20日から岡崎での署名になり友らと必死に動き出したのです。それがなんと今月第2週から雲行きが変わってきた。突然の高須院長からの引退表明。本当に驚きました。突然土日の情宣をやめるように初めて事務局の方から要請。これを受けて準備していた会場でも署名はとりあえず止め、受任者の受付だけにしたのでした。受任者をとりあえず増やさねば勝負ができませんから。 月曜日からは選管に問い合わせて署名可能の返事をいただき再開。しかしなぜかよからぬ署名が出されているなどの声が聞こえ始めた。 また反対派の工作なのか。活動にはいつも付きまとう妨害。これらに惑わされてはならぬと厳正に対応。名無しの送り主からの小荷物の送付にも受け取り拒絶などの対応までしてきたのです。何が起こるかわかりませんので。
リコール運動にどうしても拠点が欲しいとの要請がありアパートの一室と駐車場を提供させていただきもした。事務所設立担当者の方からの要請を受けての判断。駐車場を新たに6台分を借りてその費用も出し続けている。会にはお金が足りないようで必死に工面して作成した事務所は岡崎事務室としてリコールの会で取り扱っていたようです。ドアの修理代も私が支払って何とかリコール本体には負担がかからないようにしてきたのです。
25日が済んでからは応援があるからと心待ちにしながら来たのですが。決戦場の5市町村への協力体制のはなしがどうも怪しくなってきた。ご病気が相当進んで見えてきたのかと心配しつつ必死に市民の負託にこたえて署名活動を進めてきたのでしたがなんと「打ち止め」宣言。説明も全くなく、署名活動権を放棄せよとでも。とても陛下をお迎えした岡崎ではできようはずもない。 事務局に近い方に理由説明を求めても何らのご返事もない。やはりしかるべき方に立っていただき、最後まで気を抜かずに進まねば日本をまっとうにできないのではと老婆心ながら思うのですが。
今から国旗掲揚400本余りを出してきます。 事務局でも国旗掲揚でもよい、国家を正すべく運動提起を求めたいものです。
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Last updated
2020.11.23 00:32:59
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