|
カテゴリ:カテゴリ未分類
中国海軍の揚陸艦が与那国沖を通過し、台湾東部の沖で上陸作戦の演習を行ったことが24日、明らかになった。
もうここまで進んでいるのか。 日本のタンカーは台湾東を通過し日本に石油を届けてくれている。 今まで侵攻の危険は語られてはきたが、どこかで台湾西部の話で、たとえ侵攻がなされても台湾全土制圧までは時間の余裕があるのではと安易に思う気持ちがあったがとんでもない油断と思いなおした、
侵攻があれは一気にここを橋頭保として確保するであろうし西部からの侵攻も一気。なれば台湾全土が戦地となる。
この海域は日本にとっての生命線。ここでチャイナの暴力的武力侵略行為がなされれば日本にとっても、他の太平洋に位置する諸国にとっても最も深刻な事態となる。 台湾進攻はいよいよ現実性を高めてきた。 日本政府およびすべての政党は一刻も早く防衛意思を示さねばならない
日本は緊急に安保理開催を求め、アセアンなどの諸国と連携して台湾国民防衛の軍事協力体制を築かねばチャイナ覇権主義を止めることは不可能となろう。 もはや政府には台湾防衛を躊躇する選択肢はないのだ。
今朝は国旗降納に奔走、かえって来たのは朝3時半。夕食を食べて小休止、 昨日は勤労感謝の日。祝日である、少しずつ国旗掲揚の家が岡崎では増えてきてはいるが、まだほんの数えられる数しかない。 祝日に国旗を揚げない人が祖国愛を語ったり国防や改憲を主張したりされるのにはおおいに違和感をおぼえる、 ウイグルを語りチャイナの脅威を主張する諸宗教や諸団体の数は多いが多くの方が集っていた保守団体の建物にすら国旗が掲げられていなかったのを見て落胆もした、通り掛けの私が指摘するまで誰一人不掲揚に気づかれもしなかったし指摘されもしなかったわけであるから。 保守代議士に国土強靭化や国防強化、改憲を要請し総選挙で投票した多くの国民がいながら、祝日にすら国旗を掲げることがないとはどういうことなのか、 家がアパートだから、団地だから掲揚はできないなどいわれるとき、「そうですね」と私は答えるが、心中では失礼ながら「このレベルの意識なのだなあ」とおもってしまう、 市内のあるご自宅の方は祝日にはガラス窓に部屋の中から国旗を貼って祝意を表されてみえる。外掲揚ができないならばこのようにされることもできる。「ああ保身の言葉だなあ」と思ってしまう。 人様が出されないからだしずらいと思う方に呼び水として500本近くの国旗を街路灯に出し続けているのだがまだまだ呼びかけ不足だなあと思うことにはしているが、もうそろそろ何とか動き出してもらいたいのですが、
朝7時前から資源ごみ回収。ペット、プラなどの回収作業を行う、 車で運んできてくださるのですがどなたかの車が駐車場に2台置きっぱなしにしてあり皆さん搬入に困って見えた、許可車であるのか否か僕らにはわからないが困りものである。
終えて10時より岡崎某高校に向かい、来年の建国祭での和太鼓演奏をしてくださる部の先生とお話しする、1・2年生だけの演技となるが30名を超える部員が演じてくださる。実に感動的な舞台となる、楽しみであります
昼1時半より建国祭実行委員会事務局会議が開催され、当日までの流れや今後2回開催する実行委員会の日程や内容。当日の役割分担案などの審議、チラシ案の検討などを審議していただく。 久しぶりに昨日陽性者がおひとり岡崎市内で出てしまったが、コロナの再発が無いよう期待したい
帰りて回収した国旗の整理収納を行う、強風のため散逸した国旗が6本。どこに行ったか不明であり心苦しい。 孫を見よとの妻の要請、これが楽しく時間を忘れて、仕事開始の5時ぎりぎりにまでなってしまった、 こうした家族と遊ぶのは実に楽しいが、めったに時間が取れないのが残念である
明日は11月25日、特別な日である。三島森田両烈士が東京市谷のバルコニーで国家の自立を目指して決起され自決をなされた日。もう50年余の月日が流れてしまった。 私は当時高校生、三島先生は自らを日本文化の最後の体現者足らんお非常なる決意で様々な活動をなされ執筆活動をされ「楯の会」民兵組織を作られた。 その時から私は岡崎の建国祭に参加し始め微力ながら国家再生の末端をになわせていただいている、高校時代には友らとボデイビル同好会を作り三島先生を学び、名古屋大学に入った年から東海地方で初めての「三島森田両烈士慰霊祭」を行い名大祭では「天皇」展示をしたりして左翼学生らと大いに議論もした、大学共同体創出委員会名で自治会選にも3年出た、勝てはしなかったが。 ここまで生きるとは思ってもみなかった。恥ずかしき限りでありますが、さほど道は外れてはこなかった自負はある。
しかるにいまだ憲法は米国製のまま、一言一句の訂正すらなしえていない。わが国民が必死にご存在に感謝しかつお守りしなくてはならない皇室存在の継承の危機まで生じてしまった。「日本を日本の真姿に戻してそこで死ぬのだ」の呼びかけに答える決意をした先輩や友らは。その実現前に「死」を自ら選んだり自然に受け入れてしまった多くの方がいる。「真姿」の実現の前にだ、 明日は三ヶ根に行き歩み来た道を振り返りつつ慰霊をさせていただく。
義挙慰霊祭は全国で行われるでしょう。活動の中で私が参加できなくなった名古屋の慰霊祭も後進諸氏が担い続けてくださっていると聞く、 「振り返る過去はあっても懐かしむ過去はない。」 学生時代良く語ってきた言葉であるがまさにそれは珠玉の言葉、まだやるべきはいくらでも残されている。あきらめるわけにはいかない、
明日はできる限り早く三ヶ根に行きたいものだ、 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2021.11.24 23:26:55
コメント(0) | コメントを書く |