英霊守護とは
おまわりさんに叱られるかもしれないが今日、車で信号待ちをしているとき、角のお寺に向かって手を合わせていると、町内の方が私を見つけて手を振られた。恥ずかしかったが、まあ見られたらしょうがない。走りながらではないからご勘弁を。昔の軍人さんは電車に乗っているとき、熱田神宮の近くを通ると必ず直立不動にて電車内から敬礼し続けたと、とある先生から教わったことがある。それ以来一人で運転するときは私はそんな風にし始めた。日常、敬神の思いが薄くなっている生活をただすためでもあります。靖国に降臨なされる英霊の御霊は今もなお多くのご遺族や知人縁人により参拝を受けられる。靖国にはなかなか参拝に行かれないご遺族は、せめてと、各県の護国神社に御参拝になられるでありましょう。むすこや娘さんがいる方ならまだ子孫が祭ってくれるでしょう。しかし、20歳そこそこで亡くなられた少年兵の方は結婚もされず子孫はいない。その若き青年らの殉国の死に対して、今こうして生の立場にいるものはいかに対処すべきなのか。敗戦の苦しさを知っている世代は当然のように参拝に行かれ、仏教の法要にもご参加に成る。町内でも交代しながら地蔵様や共同の仏壇に毎日おぶくさんを供えて生かされている今の生活に感謝する。たまたま運により生死を分けただけで、祖国に殉じる使命を生きられた方のご冥福をお祈りする。自宅では毎日のこと、それを輪番でお参りするのであります。やしろの清掃も輪番。町内の話。はずかしながら数年前、護国神社奉賛金を集めないことを決めたという。どなたが決められたのか知りませんが、護国神社にまつられる英霊に対してあまりに薄情な事ではないか。無論義務ではなく、篤志者のお気持ちだけですが、その面倒は町役員でやればよいと私は思う。岡崎市の護国神社は岡崎城城域にある龍城神社。立派な慰霊塔がたっている。僕らは有志で8月15日正午の慰霊式典を開催している。まだ5年程のこと。それまでは三ヶ根山の参拝を第一にしていたので。ここの奉賛金も町内では集めなくなってしまっている。無論終戦記念日の集いは僕らの会で賄っているので奉納金とは無縁ですが。 昨日は来年度の建国会場借り受けの抽選会。3人で行ってきました。今年の講演についてもプロジェクターの確認なども。安城市の建国に議員の参加を求めて市議会に行く。会派からどなたかを出してくださる模様。プロジェクターを決め。申し込んでおいた。後は建国資料作成を今日金曜中に終えて各地に配付。急ぎ作成しなければ。教育通信配布に回る。通信を配る。命ある間に憲法変わるだろうか。こう質問を受け必ず変えますよと答える。地元の大先輩であります。建国チラシをお持ちする。 建国の資料を24ページ建てて1500部作製中。今日中に製本にまで行きつきたい。