2008/06/30(月)14:22
荒野へ into the wild
大阪出張からの帰り道。
久々に読み応えのあるノンフィクションを読んだ。
「荒野へ」(ジョン・クラカワー 集英社)
出だしはスローペースだが、中盤より一気に飲み込まれ、終盤は胸が痛くなるほど心揺さぶられる。
裕福な家庭に育った成績優秀なアメリカの一青年が、アラスカの荒野へと旅立つ。
手持ちの現金をすべて焼き払い、家族との連絡も絶ち、充分な食料も地図も持たずに。
4ヵ月後、餓死した姿で見つかった青年は、全米中の話題となる。
青年に共感を寄せる若者層と、「自己責任」論をふりかざしてバッシングする大人たちとマスコミ。
日本でもよく見られる光景だ。
その中で書かれたこのノンフィクションの著者の立ち位置は、最初からはっきりしている。
身勝手、認識の甘さ、傲慢、という世間からの批判の声に真っ向から対抗するすかのように、著者は執念深く、ひとりの青年クリス・マッカンドレスの姿を炙り出そうとしている。
彼を荒野への無謀な旅へと駆りたてたのは何だったのか。
そして彼は、なぜ死んだのか。
しだいに明らかになっていく事実(家族の秘密、父親との確執、青年の死の真相)には、胸がつまる。
もし、彼が生きていたら・・・と思う。
生きていたら、決して許せなかった父親のことを次第に受け入れ、ゆるし、和解する瞬間がきたかもしれない。
傲慢で頑固でまちがった考えを持っているのは、父や世間だけではなく、自分にも同じような側面があることを、心から認めて悔いる日がきたかもしれない。
そして、自分はひとりぼっちだと思い込み、生涯ひとりで生きていくんだという理想に向かって歩んでいた彼が、実はいかにたくさんの人々の力に支えられて生きていたかが、この本ではあきらかになっている。
そのへんのことも、いちいち昔のそして今の自分に思い当たり、胸が痛くなる。
荒野のなかでひとり死に瀕する彼が、書き残していた言葉。
「幸福は分かち合えたものだけが、ほんものである」
彼に、生きて帰ってきてほしかった。
この本は、昨年映画化されたらしい(「into the wild」ショーン・ペン監督)。
今年の秋には、日本でも公開されるようだ。
安易な自分探し映画だったら承知しないわよ!ショーン・ペン!!
と、今から劇場に見に行く気まんまんである。