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カテゴリ:光圀の勉強生活
昨日、台湾の教育部(日本の文部科学省)は台湾における大学に対しての評価レポートを発表した。予想通り国立台湾大学は国立大学の一位となった。私立大学の中に、大学院で勉強していた淡江大学は一位となった。多くの評価がよくない大学の関係者はこのレポートの評価基準および評価の方法に対して、反発した。しかし、マスコミの報道の中に、わしのもうひとつの母校である中国文化大学はまるで空気のように消えた。
実は、私立大学の中に、文化大学は悪くない評価を得た。だが、かつて文化大学の評価からみれば、新たな大学と同じような評価を得たのは、評価が落ちるに間違いない。即ち、歴史がある私立大学の中に、文化大学の順位は徐々に下がってしまった。 この十年間、五年制または二年制の専門学校から昇格した大学が多い。また、「学院」(大学だが、一つまたは二つの学部しかないため、学院と呼ばれた)は大学に昇格し、多くの学部を設立することができるようになった。多くのほかの大学から退官した有名な教授を招いて、新たな設立した大学もある。 その中に、学院から大学に昇格した大学はすでに大学のレベルを持ったため、昇格したとともに、さらに盛んできた。専門学校から昇格した大学の中に、二軒の最もよい国立専門学校から昇格した大学を除き、ほかの大学のレベルはかなり悪いと言われる。つまり、大学としての師資のみならず、勉強および研究環境さえないので、ほとんどレベルが低いまたは大学としての資格がないと言われる。 しかし、かつて台湾で最初の私立「綜合大学」(ほとんどの学部がある大学)のひとりであることを自慢していた文化大学は、その最初の私立綜合大学らの中に、徐々にレベルが下がってきたように見える。なぜなら、お金を得るため、節約したが、師資および教師と学生に与える勉強と研究環境を悪くさせたからだ。 例えば、専任教師は自らの研究室を持っていない。ただ学科の事務所で机と椅子しか与えない。まるで会社のようだ。しかも講師だけではなく、教授さえ研究室がない。従って、教師は学校に残って、研究を行うことができなく、自らで研究のところを探さなければならないのではないか。また、多くの国立大学から退官した有名な教授を招いたが、その先生らはほとんど何年間研究を行っていないそうだ。 もう一つの例から考えよう。新たな図書館を建てるため、グラウンドを廃止し、現地で図書館を建てた。だが、グラウンドを廃止すると、体育学科または体育系の授業はほとんと行えない。しかも、グラウンドの廃止を決めたのに、グラウンドを使うジョギングなどの陸上競技の授業を行う計画が変わらなかった。さらに、担任の教師さえそれを知らなかった。即ち、学校の偉い方たちは、授業について考えず、ただ立派な図書館を建てることしか考えなかった。もちろん、図書館の規模が大きくなればいいが、本の量はほかの私立大学に比べて、かなり少ない。歴史の本は多いが、それはほとんど学校が買ったのではなく、すでに亡くなって、多くの有名な歴史学者が文化で二十年またはもっと前に退官した時寄付したものだ。 また、学校のお手洗いはもともとかなり古くて汚かった。わしの先輩によると、学校の代表取締役の奥さんがはじめて台湾の立法院(国会)の選挙に出馬した時、学校はトイレの改築を始めたそうだ。しかし、すべてのお手洗いではなく、一部しか改築しなかった。ほかのお手洗いの改築は次の選挙の前にしたそうだ。つまり、学生のことを考えてからお手洗いを改築したのではなく、選挙のためなのではないか。 そして、元学長が指導した修士課程の学生は、論文を丸写したことが起こった。しかもその学生は自らの指導教官の娘だ。ただ元学長は夫と離婚した。娘の修士論文の内容は母の論文の90%と同じだそうだ。その娘はすでに教育部によって修士号を取り消された。元学長も責任を取ってやめた。だが、元学長は代表取締役の力によって、すぐ商学院の院長となった。うわさによると、元学長は代表取締役の愛人だそうだ。国会議員である代表取締役の奥さんはこれによって、マスコミで自らの夫と夫の愛人と思われる元学長を批判していた。まるでドラマのような内容だが、本当のことだ。 その結果、中国文化大学は学生によい勉強環境を与えることができないと学生に言われた。つまり、上の人はただ自らの利益しか考えず、学校の発展について考えていないのではないか。しかし、生涯学習プログラムの評価がかなりよいので、そのプログラムによって多くの金を得た。また、生涯学習プログラムにある館の設備はきわめて豪華で、学校というより宮殿と言ったほうがよい。 わしの国際法律の先生はかつて文化大学大学院を卒業し、英国の大学院で博士号を取って、文化に戻って、専任助教授となった。しかもよい若手の国際法律の教授と評価されて、のち学校の学務長となったそうだ。だがその先生は去年から国立大学へ移った。つまり、評価がよくて、若い先生を留めることができず、ただ国立大学から退官し、すでに研究を行わない教授を招くしかないのではないか。 評価のレポートからみれば、文化大学は同じ歴史がある私立大学と競争することができなくなったように見える。しかも、わしが大学の受験を受けた時、入学することさえ考えたことがないまたはその時未だ成立していなかった大学と競争するしかないように見える。淡江大学大学院の修士号を持っているので、今のわしは文化の学歴を使う機会がない。だが、文化のレベルが下がってきたのは、OBにとって悲しいことなのではないか。もし、学校の偉い方たちは学校の発展についてまだ考えようとしなければ、いつ文化大学が泡のように消えるかわからないのではないか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2005.08.19 01:47:59
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