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カテゴリ:光圀の諸国への旅
今日の旅の一つの目的地は「赤坂氷川神社」だ。
都内でどこにも氷川神社があるような気がする。しかもほかの氷川神社だけではなく、ほかの神社に比べても、この赤坂の氷川神社は一番華やかではないのだ。だが、赤坂氷川神社は江戸時代で十大神社に入ったのだ。やはり華やかではないのは特別な歴史の意味があるのだ。 今の日本人の皆ご存知の「暴れん坊将軍」こと徳川吉宗が享保元年に将軍職を就いた時、すぐ倹約政策という幕府の財政に関する改革を推進し始めた。吉宗は老中岡崎城主水野忠之に命じて、現在地(豊島郡赤坂今井台)に現社殿を造営して、享保15年(1730年)4月26日に、一ツ木台地から現在地への遷宮が行われて、28日に将軍直々の参拝になった。 享保の改革の中心はが倹約だから、この氷川神社はまさに吉宗の倹約政策の目印だということだ。まったく江戸十大神社の姿とは思わない。 また、忠臣蔵での浅野内匠頭が妻と別れの場所の跡地もこの氷川神社にあるということだ。 赤坂氷川神社 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006.08.19 22:30:41
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