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カテゴリ:光圀の諸国への旅
高砂天祖神社への参拝が終わった後に、京成本線の線路の高架下の道から線路の反対エリアへ。
![]() すぐ観蔵寺の山門が見えた。今日は柴又七福神めぐりのため京成高砂を降りたのだ。柴又七福神めぐりは1930年代に創設され、首都圏の七福神めぐりの中で結構歴史のあるほうだ。2年前に七福神めぐりをしようと考えた時、柴又七福神めぐりも選択肢の一つだが、仕事の関係でターミナル駅の北千住の千寿七福神めぐりにした。その理由は寿老人を祀る観蔵寺にあるのだ。なぜなら、柴又から歩行20分以内のほかの寺院に対し、観蔵寺はほかの寺院の中にもっとも柴又から離れる医王寺から歩行で30分ほどかかる京成高砂の近くにあるからだ。この距離だと、どこからめぐりを始めるかかなり悩むものだ。今日は亀戸天神へ参拝することを決めているため、押上から来るのが順路だが、亀戸七福神めぐりも歴史のあるためさらにいい選択肢だと言える。ただし、今日の天気もいいとは言えないし、わしもすぐ帰宅して仕事を進めなくてはならないため、亀戸七福神めぐりに比べ、柴又七福神めぐりのほうが都合がよい。 観蔵寺は文明元年(1469年)に開山された真言宗豊山派の寺院。ご本尊は観音菩薩。江戸時代で高砂天祖神社の別当寺であったという。 ![]() 次は新柴又の近くにあり、恵比寿天を祀る医王寺へ参拝。応永14年(1407年)に創建され、山号が薬王山、院号が瑠璃光院、寺号が医王寺で、真言宗豊山派の寺院で、御本尊が薬師如来。医王寺は柴又七福神めぐりの事務局でもある。御本尊の御朱印はいずれの時期にも授与しないようだ。 ![]() 医王寺から3分間で歩いたら、大黒天を祀る宝生院に到着。寛永元年(1624年)に開山され、もともと京橋にあったが、谷中、池之端へ移転し、関東大震災の後の昭和2年に現地へ移転された真言宗智山派の寺院。御本尊は大黒天。南葛八十八ヶ所霊場の50番札所、御府内二十一ヶ所霊場21番札所でもあるが、住持が柴又七福神めぐりの時期だけいる。 ![]() 柴又界隈へ進み、福禄寿を祀る萬福寺へ参拝。 ![]() 萬福寺から5分ほどもかからずに題経寺に到着。本堂に登り参拝したら、七福神めぐりの時期に御開帳なので帝釈天や毘沙門天の前に直接お参りすることができた。 ![]() 弁財天を祀る真勝院は題経寺のすぐ近くにある。 ![]() 京成金町線の線路に沿って金町方面へゴー。最後に宝袋尊を祀る良観寺へ参拝。 午後1時頃から3時半頃までという約2時間半ぐらいかかって柴又七福神巡りを制覇した。なお、柴又七福神のうちの五つの寺院は、江戸川ライン七福神とかぶるが、江戸川ライン七福神はすでに七福神霊場として活動されていないようだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2025.01.10 00:30:16
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