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カテゴリ:光圀の諸国への旅
「らぁ麺 やまぐち」を出た後に、面影橋駅を経由し雑司が谷駅へ向かう。
![]() 途中に目白不動尊へ参拝。江戸三大不動、江戸五色不動の一つとして知られる。江戸三大不動のうち薬研堀不動院、江戸五色不動のうち目赤不動尊へすでに参拝した。 ![]() 神霊山金乗院慈眼寺として知られるが、寺務所からいただいたパンフレットは、「目白不動 東豊山 新長谷寺 金乗院」となっている。 金乗院は永順法印がご本尊聖観世音菩薩を勧請し、観音堂を築いて開山したとされ、後陽成天皇時代(1586~1611在位)より前の天正年間の創建と考えられる。東京大空襲の際に徳川光圀が書いた額まで焼失された。ただし山門んは屋根だけ焼失された。昭和46年に本堂が再建され、平成15年に改修された。客殿や庫裏は平成10年に再建された。 ![]() 不動尊を祀る目白不動堂。東豊山浄滝院新長谷寺と号する。新長谷寺は本来文京区関口にあったり、江戸三大不動の第一位、五色不動の随一として知られた。ご本尊の不動明王は弘法大師作で、断臂不動明王と言われる。元和4年(1618年)に中興し、江戸幕府二代将軍徳川秀忠の命で十一面観音の像が移され、新長谷寺と号された。さらにご本尊が三代将軍徳川家光から目白の号を送られた。五代将軍徳川綱吉や生母の桂昌院もたびたび参拝。ただし、東京大空襲で新長谷寺が焼失され、廃寺となった。このため、ご本尊は金乗院へ移し、目白不動堂が金乗院に合併した。 すなわち、金乗院第22代住持の小野塚幾澄(1931~2021)は有名な仏教学者で、大正大学教授・仏教学部長を歴任し、平成20年(2008年)から24年にかけて真言宗豊山派管長・総本山長谷寺化主に就任した。 ![]() 日本における最初の公共図書館である青柳文庫を作った青柳文蔵の墓。 ![]() 慶安の変で江戸幕府の転覆を図った首謀者の一人であり、槍の使い手として知られる丸橋忠弥の墓。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2025.02.19 00:05:14
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