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カテゴリ:光圀の諸国への旅
古町めんの坊を出た後に、近くの住宅区へ進む。
![]() 「関妙山 善性寺」を見つけた。山門前の石畳状の構造物は、旧音無川に架かっていた「将軍橋」という橋の遺構である。 ![]() 隼人稲荷神社。江戸時代のころは裏門からおよそ一町ほど入ったところに建てられていたが、戦後になって現地へ移された。明治政府は「王政復古」の理想実現のため、神仏分離を実施したが、歴史のある寺院の境内には稲荷神社をはじめ小さい神社があるというのも普通である。 ![]() 日蓮宗感応寺の第二世・尊重院日嘉上人が、長享元年(1487年)自分の隠居寺に改築したことで開山。天和2年(1682年)、甲府藩藩主・徳川綱重の側室で、江戸幕府六代将軍徳川家宣の生母であるお保良の方の老女日安尼によって中興。お保良の方の墓がここにあるため、家宣や弟の松平清武はよくここへ墓参りしていたという。 ![]() 本堂の近くにある「不二大黒天像」は安土桃山時代の作と言われる。 ![]() 岸信介を破り第2代自由民主党総裁・第55代内閣総理大臣となった石橋湛山の墓。 ![]() 69連勝の大相撲記録を樹立した第35代横綱の双葉山定次の墓。山門のすぐ近くにあるが、双葉山関の本名を知らなかったので、場所がわからなかった。ちょうどご住持が寺務所から出たため確認ができた。 ご住持がお葬式の対応で忙しいため、歴史関係の質問、御朱印の依頼をせずに退散。日を改めて再び参拝したいが、その日が来るかな。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2025.05.23 00:22:26
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