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2025.05.05
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カテゴリ:光圀の諸国への旅
 言問通りを経由して根津界隈に入ったら、せっかくだからと思ってまた寄り道。



 「​東叡山 寛永寺​」の山門が見えた。



 根本中堂。御朱印やお守りは中へ授与するってこと。明治12年(1879年)、川越喜多院の本地堂を移築したもので、寛永寺本来の建物ではない。元禄11年(1698年)に今の上野公園内大噴水の地に建立された根本中堂は、慶応4年(1868)の上野戦争の時に焼失された。



 銅鐘。四代将軍家綱の一周忌にあたって家綱の霊廟である厳有院へ奉献された。明治維新以後に根本中堂として今の地へ移された。作者の椎名伊予守吉寛は江戸時代前期で活躍してた鋳物師であり、増上寺や寛永寺などに関わっていた。



 慈海僧正墓。寛永元年(1624年)生まれ、70歳で死去。東叡山護国院などを経て寛永寺の学頭として東叡山凌雲院の住持に就任した。学頭は門主、輪王寺宮の名代を務める唯一の有資格者でもあった。亡くなった後に大僧正の位が贈られた。墓は本来凌雲院にあったが、昭和33年に寛永寺に移った。



 寛永寺旧本坊表門に据えられていた「鬼瓦」。

 「東叡山 寛永寺」は天台宗関東総本山で、江戸幕府三代将軍徳川家光が開基、天海が開山、薬師如来るがご本尊である。参拝したことのある​辯天堂​、​清水観音堂​、​上野大仏​、​上野東照宮​、​護国院​を含め、現在の上野公園のほぼ全域が往時の寛永寺の境内である。徳川将軍家の祈祷所・菩提寺であり、寛永寺墓地に、徳川将軍15人のうち6人(家綱、綱吉、吉宗、家治、家斉、家定)が眠る。なお、開基の時、戦災などで天皇を江戸へ迎えなくてはならない時、御所とすることも想定されていた。ほかの歴史のある寺院と神社と同じ、城としての機能も持っていたため、上野戦争の際に彰義隊の拠点となった。上野戦争でほぼ廃寺状態となったが、明治12年に子院の1つの大慈院があった場所に天海が住んでいた川越の喜多院の本地堂を移築して根本中堂)とし、復興してきた。なお、東京大空襲によって、当時残っていた徳川家霊廟の建物の大部分が焼失された。









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最終更新日  2025.05.23 21:30:52
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