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カテゴリ:光圀の諸国への旅
不動院への参拝をひてからそのまま仲町氷川神社へ。その後に千住神社へ向かうために日光街道へ。 ![]() また立派な山門が見えた。しかも中へ眺めれば、本堂には葵の御紋がかけられてある。調べたら、稲荷山勝林院源長寺という浄土宗の寺院。 ![]() 山門のすぐ近くにある地蔵尊。旧千住七福神の寿老人である。 ![]() 1610年(慶長15年)、伊奈忠次の開基である。寺名は忠次の戒名「勝林院殿前備前太守秀誉源長大居士」が由来である。御本尊は阿弥陀如来。 ただし、実質的な創建者は千住の開発者石出吉胤で、代官頭(後の関東郡代)の忠次に花を持たせる意味で「開基」の座を譲ったという。石出吉胤(掃部介あるいは掃部亮)は香取郡石出郷を発祥とする千葉氏の一族で、千葉日向守幸胤の嫡男。通称は徳太郎。千葉宗家に従って小田原城に籠城したものの落城。浪人となって遠江国に住んだ。千住宿は徳川家康が整えた日光街道の宿場のひとつである。文禄2年(1593年)、家康は関東郡代の伊那忠次に千住大橋の工事を命じた。石出吉胤は忠次に従って尽力した。のち宿場の開発に力を入れたのだ。 ![]() 「多坂梅里先生追悼碑」。信濃上田侯の世臣 ( せいしん ) であったが、享保年中千住駅に寓居し、医を業としながら寺子屋を開き、約50年間教育をしてきたという。 ![]() 大欅の残りの切株。文化文政年間でこの界隈では大欅が多かったが、最後の一本は昭和20年(1945年)の東京大空襲で焼失された。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2026.07.14 21:45:04
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