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カテゴリ:読書
『今昔物語集』の巻17ノ3の読後感を書きます。
あらすじは、治安維持を司る役人が、合戦中に矢をすべて射尽くしたため、非常なピンチに陥った。 その際、自身の氏寺の地蔵菩薩に助けて下さいと祈念した。 すると、一人の小僧が現れ、次々と矢を拾って役人に渡してくれた。 しかし、その小僧は合戦の途中で、背中に矢を射られてしまい、役人は小僧を見失ってしまった。 さいわい合戦の方は勝利をおさめた。 その後、役人は氏寺に参詣し、地蔵菩薩を見たところ、その地蔵菩薩の背中に矢が立っていた。 それを見て、役人は、戦場で自分を救ったのは地蔵菩薩だったことを知り、感激した。 まあ、こんな感じですか。 要するに、地蔵菩薩は大変ありがたい存在だと説いていると思われます。 以下に、調べたことを、少々書いておきます。 「日本においては、浄土信仰が普及した平安時代以降、極楽浄土に往生のかなわない衆生は、必ず地獄へ堕ちるものという信仰が強まり、地蔵に対して、地獄における責め苦からの救済を欣求するようになった。 賽の河原で獄卒に責められる子供を地蔵菩薩が守るという民間信仰もあり、子供や水子の供養でも地蔵信仰を集めた。また、関西では地蔵盆は子供の祭りとして扱われる。 また道祖神と習合したため、日本全国の路傍で石像が数多く祀られた。」(ウィキペディアより) これは、日本の地蔵信仰について書かれた部分。 今でも、昔からある道の傍らに、お地蔵さんを見ることがある。 この地蔵信仰は、平安時代以降に盛んになったようである。 ところで、今昔物語の成立はというと、12世紀前半で平安末期だそうです。 多分、地蔵信仰が盛んだった時期だと思います。 「胡ぐい(やなぐい):矢を入れ、腰につけて携帯する道具。奈良時代から使われ、状差し状の狩胡(かりやなぐい)と幅の広い平胡(ひらやなぐい)とがある。また、古製の靫(ゆき)が発展したものを平安時代からは壺胡(つぼやなぐい)といい、公家の儀仗用となった。行列では、女性が手に持って歩く。」 (ネットで借用 m(__)m) 「やなぐい」というのは、矢を入れるものです。 今となっては使われることなど決してなさそうな言葉ですね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008/10/22 05:47:38 AM
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