2009/01/03(土)07:11
『道草』に出てきた金魚を調べる
其人は又彼のために尾の長い金魚をいくつも買って呉れた。
武者絵、錦絵、二枚つづき三枚つづきの絵も彼の云ふがままに買って呉れた。(道草より)
【上記の感想】
道草が書かれたのは1915年、すなわち今から94年前になる。
金魚が登場したので、調べてみた。
ウィキペディアによると、金魚は、「フナの突然変異であるヒブナを観賞用に飼育、交配を重ねていった結果生まれた観賞魚」である。
金魚は、鑑賞のために人工的に作られたものである。
鑑賞のために生き物に手を加えるというのは、宗教的にはどうなのかという問題があると思うが、深入りするとキリがなくなるので、この点には触れない。
周囲を見渡すと、植物の菊やランなども、交配を繰り返して観賞用に多くの種類が作られたものなので、けっこう多くの生物が人間によって作られているようだ。
次は、日本での金魚飼育の歴史。
ウィキペディアによると、「幕末には金魚飼育ブームが起こり、開国後日本にやってきた外国人の手記には、庶民の長屋の軒先に置かれた水槽で金魚が飼育されているといった話や金魚の絵などが多く見られる。」とのこと。
ある程度生活に経済的時間的余裕がなければ、金魚を飼うことなどできないわけで、江戸時代以前は庶民階級には金魚を飼うなどという時代ではなかったようだ。
そして、漱石の時代には、すでに金魚を飼うというのが、特別なことではなくなっていたようだ。
と言っても、現在のように娯楽が発達した時代ではないので、きれいな金魚を眺めること自体が、それなりの娯楽だったのではないかと思われる。