2009/01/12(月)20:32
『坑夫』を読みながら、足尾暴動事件を調べてみた
足尾暴動事件(あしおぼうどうじけん)は、1907年2月4日から2月7日まで、足尾銅山の坑夫らが、鉱山施設などを破壊、放火した事件。足尾銅山暴動事件、あしおどうざんぼうどうじけん、とも。(ウィキペディアより)
【上記の感想】
一言すれば、足尾暴動事件は上記のとおり。
ウィキペディアのよれば、事件の背景には、「当時、足尾銅山は、足尾鉱毒事件で命令された鉱毒防止費用などが負担となり、鉱山労働者の賃金は安く、しかも、労働条件は過酷なもので、労働者の不満は高まっていた」ということがあったそうだ。
さて、私が読んでいるのは、漱石の『坑夫』である。
この作物を漱石が発表したのは、1908年。
すなわち、足尾暴動事件の翌年である。
足尾鉱山とは無縁と思われる漱石が、なぜこのような内容の本を書けたのかというと、
暴動直後の足尾銅山で短期間帳場の帳付けとして働いた青年から、話を聞いたからとのこと。