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夏目漱石

2009/03/02
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テーマ:夏目漱石(52)
カテゴリ:夏目漱石
「それでどうです、上野へ虎の鳴き声を聞きに行くのは」
「虎かい」
「ええ。聞きに行きましょう。実は二、三日中にちょっと帰国しなければならない事ができましたから、当分どこへもお供はできませんから、今日はぜひいっしょに散歩をしようと思って来たんです」


【上記の感想】

上記は、『吾輩は猫である』の一節。

『吾輩は猫である』が書かれたのは1905年のことだが、当時、既に上野動物園が開園していたことがわかる。
そして、当時は虎に人気があったのかも。
また、上野界隈では、動物園内でなくても、虎の鳴き声を聞くことができたようである。
今と違って、東京も静かであったのだろう。

思い出せば、私の小学生時代には、パンダが初めて日本の上野動物園で飼育されることになり、大変なブームだったのを思い出す。


『吾輩は猫である』を読了。
高校生時代に途中まで読んで投げ出した本であったが、今回は無理して読んだ。(笑)

タイトルは面白く、「吾輩は猫である。名前はまだ無い。」との有名な書き出しから数ページは面白く読める。
が、読み進めるうちに、ストーリーの展開が弱さがわかるようになる。
そして、ダラダラと長い。
というのが、率直な感想。






Last updated  2009/03/02 12:14:31 PM
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2009/02/19
テーマ:夏目漱石(52)
カテゴリ:夏目漱石
ボケは日本の山野に自生しています。草ボケとかシドミとかナベワリとか言われていました。中国系のボケも古くから日本で育てられていました。

日本系は草ボケと言われますように、親木から子木、孫木と地下でつながって竹のように生育する性質があり、親木は古くなると枯れてしまいます。花の咲く時期は中国系から比べれば早咲き、四季咲きのものが多く存在します。(日本系の中でも幹が細く樹高も低い性質のものと、幹の太さも樹高も高くなる品種とで分けられます)

江戸時代に小石川養生所にボケが植えられて漢方薬として使われていた事がわかっています。

一般町民に植物を楽しむ時代が起き、いろんな植物がブームになりました。ボケもその一つで明治の後半に交配育種され、数多くの品種が大正時代に入ってから埼玉の安行と新津の小合で、印刷物として紹介されています。(ボケ図鑑より)


【上記の感想】

木瓜という植物があるが、名前を聞いたことはあるが、詳しくは知らない。
漱石は木瓜が好きだったようで、自ら木瓜のように生きたいとの俳句を作っている。
そんなことがあり、先頃ホームセンターに行った時に、木瓜を少々眺めてみた。

木瓜と一口に言っても種類が豊富なようだ。
ホームセンターにも10種類位はあったように思う。
が、大きく分ければ3種類か。
すなわち、祝錦、長寿楽、放春花。

祝錦は、花に奥行きがある。
長寿楽は、花がこみいっている感じ。
放春花は、上品な小さな花に特色がある。

と、珍しく、自分なりの木瓜評を書いてみた。







Last updated  2009/02/19 12:51:17 PM
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2009/02/17
テーマ:夏目漱石(52)
カテゴリ:夏目漱石
彼は胃弱で皮膚の色が淡黄色を帯びて弾力のない不活発な徴候をあらわしている。
その癖に大飯を食う。
大飯を食った後でタカジヤスターゼを飲む。
飲んだ後で書物をひろげる。(『吾輩は猫である』より)


【上記の感想】

漱石の『吾輩は猫である』を読み始めた。
高校生時代に読もうとしたが、数ページ読んで中止にした記憶がある。

さて、上記の一節である。
「彼」は漱石と共通点の多い人物なので、漱石も「彼」と同様に、タカジヤスターゼを飲んでいたと想像する。
このタカジヤスターゼというのは胃薬だが、かつて、この胃薬を発明した高峰譲吉(1854~1922年)に関する本を読んだことがある。
その時の日記は、こちら
もう3年5ヶ月前の日記になる。

計算すると、高峰譲吉は漱石よりも13歳年長になる。

『吾輩は猫である』が発表されたのは1905年だが、当時は既にタカジヤスターゼが販売されていたようである。






Last updated  2009/02/17 02:03:36 PM
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2009/02/12
テーマ:夏目漱石(52)
カテゴリ:夏目漱石
広瀬中佐は日露戦争のときに、閉塞隊に加わって斃れたため、当時の人から偶像視されて、とうとう軍神とまで崇められた。けれども、四、五年後の今日に至って見ると、もう軍神広瀬中佐の名を口にするものも殆どいなくなってしまった。英雄の流行廃はこれほど急激なものである。(『それから』ワイド版岩波文庫216頁)


【上記の感想】

上記は、漱石の『それから』より引用。
日露戦争で戦死した広瀬中佐について書かれた箇所である。

1909年に『それから』は著わされたが、当時広瀬中佐は既に人々から忘れ去られていたように思われる。
その後軍神として復活するわけだが、それはいつのことか。
と思い、唱歌『広瀬中佐』が発表された時期を調査してみた。
すると、1912年にその唱歌が発表されていた。
この頃から復活したのだろうか。

深入りはせずに、想像の範囲内に収めておく。

なお、こちらで、唱歌『広瀬中佐』を聴くことができます。







Last updated  2009/02/12 07:08:55 PM
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2009/02/11
テーマ:夏目漱石(52)
カテゴリ:夏目漱石
現代の社会は孤立した人間の集合体に過ぎなかった。
大地は自然に続いているけれども、その上に家を建てたら、たちまち切れぎれになって仕舞った。
文明は我らをして孤立せしむるものだと、代助は解釈した。(『それから』より)


【上記の感想】

上記は、漱石の『それから』より引用。
100年前の中流家庭も、現代の家庭と似たようなものだったのか。






Last updated  2009/02/11 09:10:02 PM
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2009/02/09
テーマ:夏目漱石(52)
カテゴリ:夏目漱石
定職を持たないで遊んでいる者。
日露戦争後、国家体制が整備されるにつれて、「立身出世」の野心が実現する余地がなくなったので、高等教育を受けても職業に就かない「煩悶青年」が急増した。
明治44年には「高等遊民」問題として社会問題にもなっている。(岩波書店の『それから』より)


【上記の感想】

漱石の『それから』を読んでいるが、高等遊民について少々書いておきたくなった。

上記は、高等遊民の註釈である。
高等遊民について書いた過去日記は、こちら

高等遊民の場合は、生活費を稼がなくとも生活できるので、ある意味恵まれていると言える。
生活できるから遊んでいると言ってしまえば、身も蓋もない。
高等遊民が多数発生し問題化したのにも、理由がある。
それが上記である。

日露戦争後の不景気や国家体制の整備の進行により、国家の仕事に就くことが困難な時期に、高等遊民が発生したようである。
要するに、世の中の変化の時期であったわけだ。






Last updated  2009/02/09 08:37:02 PM
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テーマ:夏目漱石(52)
カテゴリ:夏目漱石
日清戦争・日露戦争において日本の軍馬が西欧諸国のそれに大きく劣ることを痛感した政府は、内閣直属の馬政局を設置して馬匹改良に着手した。馬政局は、優れた種馬を選抜育成して質の高い馬を多数生産するとともに、馬の育成・馴致・飼養技術を高めた。さらに、国内における官民の馬産事業を振興するためには、競馬を行って優勝劣敗の原則を馬産に導入すると共に、馬券を発売して産馬界に市場の資金を流入させる必要があるとして、馬券の発売を前提とした競馬の開催を内閣に提言した。賭博行為は違法であったが、競馬は軍馬育成の国策に適うとして、桂太郎内閣は馬券の発売を黙許するとの方針を1905年(明治38年)に通達し、これにより馬券発売を伴う競馬の開催が可能となった。(ウィキペディアより)


【上記の感想】

上記は、1905年の日本の競馬について書かれた箇所。
今、漱石の『三四郎』を読んでいる。
その中に馬券を買う場面が出てきたので、調べてみた次第。

日本の競馬史は結構複雑である。
現在でも中央競馬と地方競馬が並存していることからも、何となく簡単ではないことが想像できよう。

漱石の『三四郎』が書かれたのは1908年である。
小説に登場するようになったということは、ある程度の経済的時間的余裕がある者は、競馬を楽しんでいたものと思われる。






Last updated  2009/02/09 02:25:40 PM
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2009/02/03
テーマ:夏目漱石(52)
カテゴリ:夏目漱石
もう20年ほど前の話になりますが、中国を列車で旅行したとき、タバコは勿論ですが、ひまわりの種、紙くずなど全てのゴミを床に捨ててました(ビール瓶だけは窓から捨てる)。
当然1時間もすれば床はゴミでいっぱいになります。すると車掌さんが前から箒でゴミを集めてきて、後ろのドアから車外にゴミを捨てていました。勿論走っている列車のドアからですよ。
恐るべしポイ捨て天国中国!(ネットで借用 m(__)m)


【上記の感想】

上記は中国の話である。
では、日本の場合はというと・・・


漱石の『三四郎』を読んでいる。

最初の方に、面白い箇所があった。
三四郎が、汽車の窓から「空になった弁当の折」を放り捨てる場面があり。
今の日本の常識ではとんでもない行為だが、100年前の日本では普通の行為だったようなのだ。

4頁目に出てくるので、興味のある方は、確認されるとよろしいかと。






Last updated  2009/02/03 07:18:37 PM
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2009/02/02
テーマ:夏目漱石(52)
カテゴリ:夏目漱石
明治に入って、弥富において、突然変異から羽根の白い文鳥が生まれた。これを改良し、固定したのが白文鳥であり、白文鳥と並文鳥を掛け合わせて作り出したのが桜文鳥である。白文鳥は桜文鳥に対して優性とされているが、桜文鳥同士の交配から白文鳥が生まれることもあり、羽色の遺伝についてははっきりしない点が多い。日本産の白文鳥は劣勢の致死遺伝子を持つため、白文鳥同士の交配では卵がうまく育たず、安定的な産出が難しいことが今後の課題となっている。(ネットで借用 m(__)m)


【上記の感想】

漱石の『文鳥』を読了。
この作物が書かれたのは、漱石が41歳の時である。
その頃文鳥を飼っていたようだが、その文鳥というのが、どうやら白文鳥という種類らしい。
よって、その辺のことを調べてみた。

時間的・経済的余裕がなければ、ペットを飼うことはあるまい。
余には、日本のペット史まで深入りする気はないが、、小鳥を飼うのは、明治時代には珍しかったのかも。

『文鳥』は1908年、今から100年ほど前の作物である。






Last updated  2009/02/02 06:55:04 PM
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テーマ:夏目漱石(52)
カテゴリ:夏目漱石
佐倉市周辺では、かつて、「佐倉炭」というクヌギを用いた黒炭生産が行われ、大阪府池田市周辺で生産されている「池田炭」とともにお茶用の炭として欠かせないものとされていました。

現在ではほとんど生産されなくなり、茨城県鉾田町や栃木県の一部の地域で「佐倉炭」の名で生産されています。(ネットで借用 m(__)m)


【上記の感想】

漱石の『文鳥』を読んでいる。
この中に佐倉炭が出てきたので、調べてみた。

余は千葉県に住んでいるが、佐倉という地名がある。
数年前に市町村の合併が流行ったので、今ではなくなってしまったかもしれないが、変わっていなければ、佐倉市があるはずである。

どうやら、佐倉炭というのは、佐倉が炭の出荷地だったため、そういう名前のブランドとして売りに出したようである。
炭にも〇〇炭というブランドがあるようだが、炭を使うことはないので、炭の良し悪しはさっぱりわからず。







Last updated  2009/02/02 06:32:28 PM
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