2023/04/29(土)08:17
SLの思い出(北海道 D51型3)
●SLの思い出(北海道 D51型3)
40数年前の北海道でのSL追っかけ旅行でしたが、いつの間にか多くの機種を撮影していたんですね。
興味がないと、どのSLも同じに見えてしまうんでしょうがもう少しお付き合いください。
写真を見返すと線路と国道が平行している部分では、レンタカーを借りてSLと並走しながら撮影したことや、ヒッチハイクで次の撮影地まで送って貰ったことなどを思い出しました。
機関車の記号で、CやDとは動力を伝える動輪の数のことで、ABCDEで表現し、左右2対の場合はB、3対の場合はCなのでD51は動輪が4対あることになる。
燃料は、機関車の後部に連結された炭水車に積んだ石炭(後に重油も併用)と水を利用し、水を沸騰して蒸気を発生させ、その蒸気をピストンに送って回転の力に変える原始的な方法だが、現代産業には大変貢献した技術なのだ。
・D51型(165号機)1939年7月、日本車両名古屋 №689 として製造し、東京大宮地区に配置され水戸や平で活躍後、1964年に北海道に渡った。
やはりD51は出発シーンの迫力が凄い。
ノンビリと貨物列車がやってきた。
遠軽や岩見沢を経て1976年廃車となる。
現在は、富山県福光公園に屋根付きで保存中。
本州から北海道に移籍したSLは、耐寒対策として運転室に旋回窓を取り付けしたり、前照灯に副灯を付ける、切詰デフにするなどの工事が施された。 ・D51型(328号機)
1939年12月、日立製作所笠戸№1207として製造し、名古屋地区敦賀区に配置された。
その後、広島、水戸、直江津を経て1965年に北海道に渡った。1975年、岩見沢を最後に廃車となる。
何処かの駅を出発する石炭列車だ。
今じゃこんな所で撮っていたら大変なことになる。
・D51型(764号機)
1943年1月、川崎車両兵庫 №2763として製造し、仙台地区に配置された。
その後、ボイラーを交換し1967年北海道に渡った。
鷲別、追分で活躍し1975年に廃車となる。
追分区当時の写真だろう。
その後、大阪エキスポランド並木広場に保存されるも会社が破産し解体されてしまった。
・D51型(1086号機)
1944年5月、日本車両名古屋 №1274は最終グループとして製造し、大阪地区姫路区に配置されたが、翌年に新鶴見区に配置された。
水戸、原ノ町で活躍し1967年北海道に渡った。
滝川、追分で活躍後1976年4月廃車となり保存される予定だったが、追分機関区の不審火により消失した。
・D51型(1116号機)
1944年7月、日本車両名古屋 №1305は最終グループとして製造し、東京地区宇都宮に配置された。
平区を経て1963年北海道に渡る。
珍しくバック運転か後部補機だったか。
旭川、遠軽、岩三沢で活躍後1976年廃車となる。
廃車後は千葉の個人に譲渡されたが、現在は茨城県のヒロサワシティで保存中。
JNRマークを付けたこのカマは何だろう。
北海道に行き来する途中の駅で撮影した485系「ひばり」も今となっては貴重な写真だ。
特急「おおぞら」が追い抜いて行ったのはD51の石炭列車。
のんびりした牧場の前で列車待ち休憩。
最後の旅は金銭的余裕ができたので帰りに飛行機を使った。
同型機の保存機D51は今でも全国で見ることができる。
長野県御代田町のD51797号機は綺麗に手入れされている。
SLには旧型客だよね。
後部の車両はマニと呼ばれる貨物車です。
SLの廃車が始まりDL(ディーゼル機関車)に置き換えられてきた。
ここまでがD51の特集でした。