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親ばかちちのぶろぐ(スバルとミニカー編)

親ばかちちのぶろぐ(スバルとミニカー編)

P2.熱き思いのレガシィプラモデルキット


熱き思いの1/32スバルレガシィプラモデルキット

久しぶりにプラモデルをご紹介しましょう


 アオシマのスバルと言えば、ちょっと前には2代目レガシィツーリングワゴンBGのいろんなバリエーションが発売されていました。その辺のご紹介は、NabeさんのSUBARU HOBBY WORLD(ちちのリンクのぺぇじ参照)にお任せするとして、ここではアオシマ文化教材社製とは言え、スバルの販売店で配布されただけで市販されなかったちょっと貴重なモデルをご紹介します。
 初代レガシィ発売前の1989年1月、アメリカはアリゾナ州でコードネーム44B(B4ではない)と呼ばれたモデルが19日間に渡って走り続ける10万Km世界速度記録に挑戦しました。当時スウェーデンのサーブ9000ターボが持っていた213.299Km/Hrを上回る223.345Km/Hrがその時点での世界記録になったそうです。この初代レガシィ以降、インプレッサやフォレスターなどの新車発売やレガシィのモデルチェンジの度にスバルが世界記録に熱き思いで挑戦し続けて来たのは御存知の通りです。
 ちちは当時後のゴーン社製U11ウィングロードターボ(今のサニーベースではないやつ)に乗っていたのですが、この年に登場した初代レガシィツーリングワゴンGTのヒップラインに惚れこみ、イベントの度に足繁く今は無きスバルオートY浜I店に通っておりました。まだHT塚は今程人口が多く無く、何とスバルの販売店がありませんでした。そのI店で、ある日目についたのがこのレガシィ10万Km世界速度記録プラモデルキットでした。当然のようにいまだに癖になっている頂戴攻撃の結果見事せしめたものですが、さすがに年月は隠せずにご覧の通り箱はかなり痛んで来ております。
 キットは1/32スケールの当時流行していたミニ4駆がベースになっていますが、ボディは完全な専用設計でプロポーションも良く出来ています。未組み立てなのですが、もうひとつ記憶が無いのになぜかパーツが袋から出されております。箱に目を転じますと、日本全国のスバルディーラー名がずらりと並んでおり、ディーラーの統合合併で無くなってしまったスバルオートY浜の名前も現在も残るK川スバルとともにここに入っています。

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というわけですが珍しいものまだまだあります。(笑

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最終更新日 2003/06/04




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