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以前も書いたが、ここのところ「小野不由美」の作品を続けて読んでいる。 今日「屍鬼」という作品をようやく読み終えた。 2段組で700ページ超、上下巻、という長編の舞台は、昔からの土葬の風習の残る、小さな閉塞した感のある村なのだが、そこで思いも寄らぬ出来事が起こり始める。 村の中には様々な人が住んでいて、それぞれの営みがあり、色々な思いがゆきかっている。 それらの人々が、出来事をきっかけにその人その人の生き様を顕していくようになる。 物語そのものは、怖い話なのだけれど、それとは別に、ひとの怖さや哀しさ、生きていく、ということの意味やそれを確固として持ち続けることの困難さなど、多くのことを語りかけられているように思う話だった。 この作家の物語は、いつも「生きていくということの在り方」を読者に問いかけているように感じる。 あなたの望む生き様に、今の生き方は適っているのか・・・というような。 今回の物語には、たくさんの人物が登場し、それぞれの生き方をしている。 こんな風に生きたい、と思わせられる人もいるし、その人の心情は痛いほど分かるけれど、その人のようにはありたくない、という人もいる。 (たくさんの登場人物の中で、誰に一番自分が近いかと考え、そうありたくはないけれど、「恵」という登場人物に自分がとても似ているような気がした。) 「何か」があったときに、人はひととしての尊厳を持ち続けられるのか、という点でも色々と考えさせられた。 全てはその人の「在り方」につながっているような気がする。 在り方。自分の生きている意味のゆくえ、ようなもの。 永い永い日々の中では、人の一生は刹那なのかもしれないけれど、生きている私たちとしては一生はそれなりの時間で、だから、自分が生きる意味を解りたいと思うし、意味はあるのだ、と信じたいのだ。多分。 物語の終盤、異種の二人が交わす会話がとても印象的だった。 言い訳ばかりで何一つ自分で切り拓くことをしなかった恵。 出来るならば、そうではなく、自分の生きる意味を見つけようと足掻いて生きてゆきたい。 生きる意味をたとえ解れなくとも、それはある、と信じて生きていられる自分でありたい。 ・・・と思う。 私の望む生き様に、適う生き方をしたい、と思う。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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