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雪香楼箚記

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アンスカ国文学会


2006年09月25日
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カテゴリ:カテゴリ未分類



 論語に「民は之を由らしむべし、之を知らしむべからず」という字句がある。
 この一条、ふつうは民衆というのは愚かなものであるから、政府の方針にただただ従わせるべきである。その方針がいかなる理由によってとられ、どのような目的を持っているのかなどということを教えてはならないし、またその必要もない、という意味で解される。儒学の封建性をよくあらわしたくだりであると難ぜられることも多い。
 右の解釈は漢代の学者鄭玄の説にもとづくもので、その注はこの条について

     正道を以て之に教ふれば必ず従はん。如し其の本来を知らば、則ち暴なる者は
     或いは軽んじて行はず。

と記している。正しい方針であれば人民は自然と教化される。だがその理由や目的までことこまかに教えてしまうと、粗暴野蛮の者はおふれを軽んじてそれを行うことがないであろう、というこころである。お上の言うことには従えばいい。そのよって来るところを人民風情が知りたがるとろくなことにはならん、ということであろう。
 日本でも中国でも十八世紀から十九世紀に入ると、漢ごろの古い注釈によってより原点に戻って論語を読もうという風潮がつよくなるから、この条を鄭玄の説にもとづいて解釈するものが現在でも多いのは当然である。ほかの注に比べると鄭玄のそれはきわだって早い。それゆえ孔子の言わんとしたところに可能性としてはいちばん近いとも考えられるのである。
 しかし「之を由らしむべし、之を知らしむべからず」の解釈は、じつはこれだけではない。鄭玄の説に立つと、ベシ(可)は「するべきだ」(義務、適当)とか「してはならない」(禁止)の意で訳出される。だが、これを「することができる/できない」(可能)の義に取って解釈する書物も存在する。何晏という人は三国時代の巍の学者で論語集解という注釈書を書いているが、この本ではここのくだりを、民衆というのは天道や人倫に知らず知らずのうちにしたがっている。したがうつもりがなくとも、自然にしたがいえている。しかしその天道や人倫というものをはっきり自覚させ、こまかく理屈立てて認識するということはできないのだ、というふうに取っている。
 三国時代から南北朝期にかけての論語の注釈というのは、道教や老荘、場合によっては仏教の教えが加味されたふしぎなものが多くて(これは当時こうした思想が儒学以上に流行したことと関係がある)、何晏の論語集解や皇侃の論語義疏はその代表例だが、ここの条に対する注釈にも何となくその雰囲気がある。無為にして自然に化し、しかも天道を得るあたりが老子的であるし、それに対するさかしらな理屈立てを否定するのも道教ふうではないか。おそらく何晏の解釈でゆけば、この条は「知らしむからず」という後半よりも「由らしむべし」という前半のほうに重点があることになるのだろう。
 南宋の朱子の注(これを新注という。朱子学者がもっとも重視する説である)によれば、このくだりは、民衆を政府の方針に従わせることができる。しかしその内容から目的、理由にいたるまでこまかく教諭し、理解させることは、本来それが望しくはあるけれども、実際的には不可能である、と取っている。鄭玄の説と何晏の説を折衷したような感じだが、ベシを可能不可能で解釈している点は何晏のほうに近い。ただ何晏とは「由」「知」の対象語が異るわけで、この点については鄭玄の説に拠っている。(常識的にいえば、少なくとも対象語の問題については何晏の説には無理がある。おもしろくはあるが、あまり儒学的ではなく、老荘の趣のほうがつよすぎるだろう。)
 もうひとつ、日本の伊藤仁斎には、国家は人民のためにその拠って立つべき制度や施設をととのえなければならない。だがその恩恵を知れと、ありがたがらせるようなことをしてはならない、という説があるそうだが、これはかなり珍説というべきで、仁斎その人の思想を知るうえでは面白いが、論語そのものの解釈としてはどうかという気がしなくもない。
 仁斎を除けば右三説。べつにぼくはここでその優劣を定めようとは思わない。注釈としては鄭玄のそれがもっともすぐれ、思想としては何晏のそれがおもしろいように思われるのだが、それは今のところ措く。気にかかるのは、今の世の中の「之を知らしむべからざる」民のことである。
 テレビというものができてから、そしてそのテレビのなかのワイド・ショーというものが政治を扱うようになってから、どうも日本人は格段に愚かになったような気がしてならない。こうしたものいいは好きではないが、特に日本のテレビのジャーナリズムとしての自覚のなさ、程度の低さは目にあまる。むろん新聞雑誌にしてもそれほどまともなものがあるわけではない。しかしテレビの、それもワイド・ショーに比べると格段にまだましであると言える。それなのに、人は新聞雑誌を読まず、テレビにかじりつく。これはいったいどういうことなのだろうか。
 メディアというものは、本来人が何かを「知る」ために存在している。しかし今の世の中を見れば、たとえばワイド・ショーによって何事かを「知る」ということが、じつは何事かを「知らない」状況に導かれてゆくことにつながっているのではないかという懸念を隠しえない。われわれは小泉純一郎という人間をワイド・ショーによって知った。しかしそれは同時に、ワイド・ショーの段階においてとどまりつづけるならば彼について大切なことを知らないままの状態に置かれることをも、意味していた。
 話題性ということに、テレビはすぐに飛びつく。しかしその話題性というものが常に大局から切りはなされて、場当り的であるところにメディアとしてのテレビの言いようもない片輪さがある。論理的な思考から遠く、外見だけがきれいにととのった番組づくりとコメントが寄せられ、しかし内容は空疎なまま、イメージと呼ばれる何かがつくられてゆく。テレビは莫大な量の知ったつもりでいる人びとを生みだすが、それはけっきょく実際には何も知らないでいることとどこが変るのだろうか。
 漢籍の解釈学の伝統は、現代の文献学のそれとは違う。常にその時代の状況をうつし、実際政治のなかでどのようなかかわりを持ちうるかという点において、新たな解釈が生れてくる。鄭玄はもとより、何晏、朱子、仁斎もその例外ではなかった。と、すれば、である。ここにおいて「民は之を由らしむべし、之を知らしむべからず」という一句に、彼らの説とはまったく別な、新しい解釈を、二十一世紀の日本に生きるわれわれがつくりだしてもいいのではないだろうか。
 民衆は、テレビによって導かせるのがよい。テレビに依拠されておくのがよい。そうすると結果的に、彼らは何も知らないという状況に陥る。これは統治においてまことに都合がよい……。テレビによく出ていたことが理由になって、総理大臣が、しかも二人つづいて誕生しそうなご時世である。こういう解釈を本に書込んでおくのもいいのかもしれない。





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最終更新日  2006年09月25日 09時24分12秒
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