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雪香楼箚記

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アンスカ国文学会


2006年09月28日
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カテゴリ:カテゴリ未分類



 世の中には決して褒めたものではない職業というのがあります。
 たとえば、女のヒモ。こういうのは、間違ってもお上が表彰したりはしない。あれはあれでなかなか技術の要るむつかしいものだと思うのですが、だからといって人間国宝に指定したりもしてくれない。それどころか、人間の屑のような扱いであります。
 たとえば、詐欺師。犯罪の藝術とまで言われる高度な技能と知力を要する職業でありながら、これも表立って評判を得るということがありません。高校の進路相談で将来は詐欺師になりたいと思いますという子はいないようだし、息子が立派な詐欺師になったのを自慢する親というのも見たことがない。
 たとえば、やくざ。おそらくあらゆる職業のなかでももっとも来歴の古いもののひとつで、風流風雅このうえない仕事ですが、その割に堂々とみずからの職業を誇っている人は少ないようです。この道に一生を捧げて世間の尊敬を集めたという人も、国定忠治や清水の次郎長はともかく、最近ではあまり聞きませんねえ。
 要するにこういうのは、それをどうしてもやってはいかんというほどのものでもないけれど、自分で進んでどうしてもやりたいほどの仕事でもなく、いわんや社会や人類の文明に寄与するところはごくすくなく、世間の場所ふせぎのようにして生きてゆく、けっきょくのところあまり褒められたものではない職業、ということになるらしい。
 もっともだからといって、たとえば教師や医者や政治家がほんとうに人が人として生きてゆくことに役に立っているかという話になると、これはこれで大分うさんくさくて、つまりは世間にまっとうな職業というのはお百姓さんや漁師さんのような仕事としかないのではないかという疑いも出てくるわけですが、それを言いだすときりがないからここではよしておきましょう。上(?)のほうを見てゆくとずいぶんあやしげなものもあるけれど、すくなくとも女のヒモや詐欺師ややくざがあきらかに「褒めたものではない職業」と思われていることは厳然たる事実であるようなのです。
 やくざ映画に出てくるもののわかった親分衆は「俺たちやくざは世の中のお情けを囓ってこの生業を立てているのだから、決して堅気の人に迷惑をかけちゃならねえ。極道は極道らしく世間の片隅で遠慮しいしい生きてゆかなくちゃならねえのだ」という価値観を持っています。要するに自分たちが世間の屑だということを認めている。褒めたものではない職業についているという自覚があるのです。堅気の人から見れば、自分たちは世間の屑であって、しかし世間の屑であるからこそ世の中の決りからは多少自由になっている。その自由になった部分にやくざなりの誇りというものがあって、その誇りを守るためにやくざにはやくざの仁義があって……、あとはまあ映画でお確かめください。
 池波正太郎的な世界というのは、おそらくここからはじまるのではないでしょうか。彼の小説には独特の世界がある。それは悪人の倫理とでも呼ぶべきものであって、悪人は悪人である以上世間一般の倫理からは外れています。しかしながら、池波の小説のなかに出てくる「まっとうな」悪人たちは、そこに背徳を求めようとしない。むしろ世間の倫理から外れているからこそ、自分なりのよりきびしい倫理をつくりあげて、窮屈にそれに従い、そこに誇りを見出す。そしてそれを守りとおす悪人に対しては、それがどんな悪人であっても、鬼平も秋山小兵衛もきわめて好意的です。
 世間の屑であるからこそ、そこに世間のそれとはかたちのちがう、しかし場合によってはよりいっそうきびしい倫理があって、それを守りぬくことに世間の屑なりの誇りというものがある。池波正太郎描くところの「畜生づとめ」の盗賊や、あるいはやくざ映画に出てくる「悪いやくざ」が、作品世界において否定的に扱われるのは、そこに理由があります。彼らはわるいことをしているから非難されるのではない。正確に言うと、世間の倫理において悪いことをしているから非難されるのではなくて、世間の屑における倫理に背いているために、世間の屑なりの倫理を守って生きている人びとの態度を嘲笑うかのように平然とそれを踏みにじっているがために、鬼平や高倉健によってやっつけられなければならないのです。
 世間の屑という言葉には軽蔑がある。しかし軽蔑があるからこそ、そこにかえって誇りが生れる。おそらく女のヒモにしろ、詐欺師にしろ、やくざにしろ、それはみな同じなのではないでしょうか。世間の倫理から見れば理解できなくても、そこには彼らなりの倫理があって、そこに誇りを見出す人びとがいる。ある面においてレヴィ=ストロース的な世界観によって「世間」は成りたっているのです。
 そこで、何がいいたいのかというと……、文学者もまた世間の屑であるということ。
 そこらあたりが何だかむずがゆい感じなのですが、文学をやってますというとときどき尊敬の目で見れくれる人がいます(きっと、その昔文学少年や文学少女だったのでしょう。あるいは現役かな?)。それはそれでまんざらでもないのですが、いつもちょっとだけ違和感がある。何というか、自分は女のヒモ、詐欺師、やくざのごとき世間の屑として生きているつもりなのに、市役所に呼ばれて表彰状を渡されるがごとき場違いな感じを受ける。居心地がわるいのです。
 いいですか、ここにいるのは世間の屑です。何の役にも立たない、つまらない人なのです。尊敬の眼差しなんかで見つめちゃいけません。そう、やくざ映画でかっこいい主人公が堅気の娘さんに惚れられるとどうなったか、ここで是非とも思いだしてみようではありませんか。彼は必ず最後にこうやって切りだすはずだ。「お嬢さん、あっしみたいな極道に惚れちゃいけませんや。そんなことしちゃ後で泣きを見るにきまってる。お嬢さんは素っ堅気の素人さんだ。こんな世間の屑みてえな野郎にかかわって、嫁入り前の大事な体に傷をつけちゃあいけねえ。あっしのことはきっぱり忘れておくんなせえ。所詮住んでる世界が違うんでござんすよ」。内心どんなに惚れていたとしても、きっぱりそういって背を向ける。それが世間の屑なりの倫理というものです。
 世間の倫理と、世間の屑の倫理は相容れない。世間というものは立派な人を尊敬します。世間の屑は立派なやくざを尊敬する。ともにその構造は似ているが、「立派な人」と「立派なやくざ」という結論はまったく相容れません。立派なやくざであれば立派な人であるはずがないし、立派なやくざであれば立派な人であるはずがない。そしてこうした齟齬が起った場合、世間の屑の倫理は世間の倫理を自分たちの倫理より尊重せよと教えます。だから映画の最後で高倉健は一人去ってゆく。
 世間の人は、世間の屑なんか尊敬してはいけないのです。それは、世間の人が、世間の屑の倫理によって生きようとすることだから。文学者は世間の屑です。そんな連中を尊敬するなんてもってほのかなんです。文学者を尊敬するのは、文学者と同じ世間の屑でしかあってはならないのです。……わかりましたか、お嬢さん方?
 でも、よく考えると、女のヒモ、詐欺師、やくざ並の世間の屑であるは文士であって、文学の研究者ではないんだよなあ。文学研究者というのは、屑をあさってそれに寄生しているのだから、世間のゴキブリみたいなものですかね。 





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最終更新日  2006年09月28日 09時06分11秒
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