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雪香楼箚記

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アンスカ国文学会


2006年10月28日
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カテゴリ:カテゴリ未分類



 文学を鳥にたとえると、という話は以前したような気もするけれど、もういちど繰りかえしておきます。
 文学を鳥にたとえると、その頭は詩である。詩はすべての文学の親にして、すべての文学の基となるものにほかならない。そして胴体は小説。これは今さらいうまでもない。特に十八世紀以来、ヨーロッパおよびその影響を受けて成立した各国の文学にあって、小説こそは文学における王者であった。二つの翼は戯曲と歴史。ともに文学の形式として長らく重視されてきた分野である。そして、尻尾が批評。
 批評というのは、文学にかぎらずあらゆる分野においていちばん最後に出てくる。形式として成熟するのにもっとも時間がかかるのだ。なぜなら批評には対象が必要である。そしてよい批評を書くにはよい対象が必要なのであって――それ以外にもいろいろと必要なものはあるけれど――、よい対象はその分野の初期段階にはなかなか生れにくい。さらにいえば批評とは比較の作業である。つまりそれは一種の歴史を書くことであるから、より後代に生れれば生れるほど、仕事がしやすい。
 もうひとついうと、趣味の問題もある。いかなる分野であっても、その黎明期、草創期には制作の現場に熱気が渦巻いている。それがすぐれた作品をつくりあげる荒々しい情熱へと成長してゆくことは言うまでもないが、逆に言えば同じ空気が冷静になってものごとを見つめることをむずかしくする嫌いもある。全体を見渡し、長期的な視野に立って、あらゆる対象を比較しながらいいものとわるいものを分けてゆく作業は、こうした時期には行いにくいし、それ以上にこのような作業の基となる考えかたや理念をかたちづくることがむずかしい。趣味や教養の蓄積がないからである。いわばその分野に草創の熱気はあっても、成熟した判断力が存在しない。それゆえ、こうした段階においては批評に優れた作品が生れにくい。
 一例を挙げると、平安時代には『源氏物語』をはじめとして多くの物語が書かれ、そのなかにはいくつかの傑作が含まれるが、物語批評として今のわれわれが満足できるものとしては『無名草子』一冊があるだけで、それは鎌倉時代初期の執筆にかかるといわれている。つまり王朝物語の頂点ともいうべき『源氏』に遅れること二百年というわけだ。これは何もわが国の平安時代文学史が特異なのではない。批評というのはそういう宿命を持った形式なのである。
 ところがここに一人の例外的人物がいる。それが吉田秀和にほかならない。もちろん吉田秀和以前に日本に音楽批評家がいなかったわけではない。音楽家や作曲家がいなかったわけでもない。山田耕筰もいたし、藤原義江もいた。われわれが名前を忘れた批評家もいた。しかし彼らは、一部の人びとを別にすれば、必ずしも非常に優れた演奏家であり、作曲家であり、批評家であるとは言えなかった。いやむしろ、概していえば程度が低かった。つまり吉田秀和以前に、日本に本格的なクラシック音楽というものは成熟していなかった。ごく草創期だった。
 そのなかに評論家吉田秀和は忽然とあらわれたのである。そして彼が日本の音楽批評を育て、音楽教育を育て、演奏家や作曲家を育て、さらには聴衆をさえ育てた。ふつうとはまったく逆の順番に、いきなり成熟した批評があらわれ、その批評によって音楽のあらゆる側面に深化が生れたのが、日本におけるクラシックだったのである。この点で、吉田はほかのいかなる音楽批評家とも性質を異にする。彼は無から生れて、有をなしとげた。
 ぼくは、現代日本の代表的批評家として、だれよりもまず吉田秀和を挙げる。彼はあらゆる批評家ができなかったことに成功し、しかしそれにもかかわらず、山師にも政治家にもならず、きわめて格調高い批評家でありつづけることを得たからである。定家や利休でさえ、批評家としてこれほどの悪条件に置かれ、これほどの成果を達成したことはなかった。





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最終更新日  2006年10月28日 10時49分02秒
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