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雪香楼箚記

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アンスカ国文学会


2006年11月17日
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    一九四五年へ
      『この国のかたち』


       1
 明治憲法がいはゆる英国型の君主制を採用し、実質的には三権分立の近代的なものであつた、といふ説にはさまざまに異論がある。が、憲法自体がどうであつたかはともかく、大正から昭和初期までの法学において主流となつた憲法解釈、すなはち美濃部達吉の天皇機関説によつて解釈すれば、たしかにこれは「君臨すれども統治せず」ふうの国家体制であつたといはざるを得ないだらう。そして重要なことに、これは大正から昭和の初期にかけて政府公認の学説であつて、上は高等文官試験および司法試験から下は中学校の公民の期末試験に到るまで、すべて美濃部説が正当なのだとされてゐた。
 それを昭和軍閥はあつさりと否定してしまふ。統帥権が天皇大権であるといふ憲法上の規定を利用して、これを三権のいづれからも独立した天皇直轄の神聖不可侵なものとして位置づけ、さうすることによつて政府と議会をいいやうに引きまはしたのである。
 これを司馬遼太郎は「鬼胎の時代」と呼び、十五年戦争における軍部の暴走はすべてここに遠因を発するものであると説明した。ここでは「「統帥権」の無限性」(『この国のかたち』のうちの一章)より。

   明治憲法はいまの憲法と同様、明快に三権(立法・行政・司法)分立の憲法だ
  ったのに、昭和になってから変質した。統帥権がしだいに独立しはじめ、ついに
  は三権の上に立ち、一種の万能性を帯びはじめた。統帥権の番人は参謀本部で、
  事実上かれらの参謀たち(天皇の幕僚)はそれを自分たちが「所有」していると
  信じていた。

 軍はこの「鬼胎」を最大限に利用したのである。
 その第一が軍部大臣現役武官制といふ制度であつて、彼らはこれを用ゐて時の内閣にゆさぶりをかけた。一時は廃止されてゐたはずのこの制度においては陸相と海相は必ず現役の軍人でなくてはならず、現役武官は参謀本部の統制下にあるために実質上は参謀本部によつて大臣が推薦され(軍部大臣の任命は統帥権の範囲内にあり、天皇に代行して参謀本部がこれを行ふ、といふ理窟である)、首相の自由にはならない仕組みになつてゐて、大臣が揃はないと内閣は流産することになるからいきほひ政治家は軍の鼻息をうかがふことになつてしまふ。軍縮推進を掲げた宇垣一成に組閣の内命が下つたのを流産させたのも、広田弘毅内閣で吉田茂の入閣を「親米英派だから」といふ理由で拒否したのも、このやうな手妻の種があつたからこそだといへるだらう。当時の軍部といふのはかうしたならず者か破落戸のやうな品のない脅し(「俺らの要求が呑めねえなら、大臣推薦せずに内閣つぶすぞ」といふ)によつて強面ぶりを維持してゐたのである。
 第二には帷幄奏上権といふものがあつて、軍事に関しては天皇と参謀本部のあひだでぢかに相談することができる(内閣の干渉なしで)制度が、これもまた統帥権は天皇大権だからといふ理由によつて生れ、さかんに用ゐられた。天皇とぢかに相談、といつても参謀本部が一方的に奏上するだけであつて、要するに軍は内閣を無視して勝手にやつてよろしいといふお墨付のやうなものである。これによつて参謀本部の立てる計画は議会や内閣に一切漏らさず、参謀たちの責任追及もできないといふ風習が確立し、だからこそ柳条湖事件や盧溝橋事件のやうな軍部の独走が可能になつてゆく。
 これらの諸制度は、むろん美濃部説のもとでは違憲か、もしくは限りなくそれに近いものであらう。が、「鬼胎の時代」にあつてはいづれも合憲的な手段によるものであつて、軍人たちは
「統帥権は天皇大権であり、親政すべきものであるがゆゑに、参謀本部は幕僚として天皇を支へ、議会、内閣、そのほかの批判にまどはされることなくこの戦争を遂行するために、彼らの干渉を一切封ずる」
 といふ独自の憲法解釈をお題目のやうに唱へることによつて国家を私物化し、作戦と名づけるのが烏滸がましいやうな計画を遂行し、数限りない国民を無意味に殺しつづけたのにほかならない。
 ここで重要なことは、たしかに彼らの憲法解釈は異常であつたが、しかし誤つてゐるとはいへず、憲法解釈の相違にすぎないといふ点だらう。憲法の本文だけを見たときに、美濃部説が正当であるやうに、参謀本部お手製のこの解釈もまた正当なのである。すなはち明治憲法といふ母胎には潜在的に軍部の独走を許す鬼つ子が宿つてゐたのであつて、司馬遼太郎の「鬼胎」といふことばはまさしくその間の事情をするどくゑぐり出してゐるのにほかならない。
 だが、この作家の追求はそれだけでは終りにならなかつた。以下、『この国のかたち』(ことに昭和初期に言及することの多いその第一巻)に依拠しつつ、彼のいはゆる「鬼胎の時代」について考へてみる。





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最終更新日  2006年11月27日 08時49分11秒
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