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5 我々にとつて文学といへば西洋渡来のあれであり、漱石以来のあれである。そこに盛るべきものは経世済民の志ではなく、藝術や人間に関する普遍的な命題であつて、遊びとして認識してゐるものである。 さういふ社会状況のなかで、司馬遼太郎はぽつりと孤高を守るやうにして「志の容れもの」として文学を捉へ、小説と評論を書きつづけた。あれほどの作り物語の才能を持ちながら、彼の文学観においては、それは否定されるべきものだつたのである。そのことを考へるとき、私はいつも「二十二歳への手紙」といふ彼の文学的主題が恨めしくなつてしまふ。そんな裃、脱いでしまへば楽なのに。まはりくどい、私としての文学でいいぢやないか。もつと人文的な、人間本然のものを描いて、あなたの才能を縦横に発揮すればいいぢやないか。あるいは『梟の城』のやうな、娯楽的でおもしろい小説をもつと書いてゐて欲しかつた。そんなに『文章軌範』ふうの文学観に縛られなくても……。 しかし、我々はさう思ひつつも、一方で彼の作品が「志の容れもの」であるからこそ、あれほど優れた境地にあるのだといふことも知つてゐる。『文章軌範』ふうの文学観をとりはづしてしまへば、司馬遼太郎は司馬遼太郎ではなくなるだらう。なにしろ仔細に読めば、『梟の城』でさへ「手紙」としての側面が深々と刻印されてゐるのだから。 小説家でありながら小説といふ手段を疑ひつづけた、はなはだ儒教的な文学観の持主は、小説と評論といふ形式のあひだで、ひどく二律背反的な、自己撞着的なものを感じながら、あんなにおもしろい小説を書いた。そして、我々読者もまた、作者とはちよつと別の、しかしやはり二律背反的な感情のなかで彼の作品を愛してゐる。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006年12月06日 09時52分01秒
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