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雪香楼箚記

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アンスカ国文学会


2006年12月07日
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カテゴリ:カテゴリ未分類



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 司馬遼太郎にとつて戦争とは何だつたのだらうか。むろん大正十二年生れの作家は実際に戦争といふものに参加してゐる。先の十五年戦争がそれで、学徒出陣によつて満洲で壁の薄つぺらい戦車(と呼ぶのが烏滸がましいやうな乗物)に乗り、のちに本州防衛のために栃木県佐野へ部隊ごと渡つて終戦を迎へた。司馬遼太郎自身は何度もこの体験を語り、当時の軍部の無能(といふよりは痴呆)を口を極めて非難してゐるのは周知の事実だし、敗戦体験から「日本人はどうしてこんな阿呆な戦争をやつたのだらう。この国はほんとうにそんな愚かな国だつたのか」といふ問題意識によつて小説を書き始めたといふのは有名な挿話だと言ふことができるだらう。また晩年の井上ひさしとの対談で「日本はしつかりと中国や朝鮮、韓国に謝罪すべきである」といふ発言をしてゐるのを見ても判るやうに、彼の十五年戦争に対する評価は一貫して低くて日本史上もつとも愚かで無意味な戦争として位置づけてをり、ちかごろはやりの右翼がかつた「歴史を正義、不正義で判断してはならない。十五年戦争もしかり」といふ説からは一線を画してゐる。(ちなみにいはゆる自由主義史観のどこらあたりがをかしいかと言ふと、十五年戦争がすでに歴史の部類に入つてゐるといふ考へ方であらう。歴史学的な問題はさておき、我々日本国民の常識的な知識によれば今の日本政府は戦前の帝国政府を継承して到つてゐるものにほかならない。それゆゑに少くとも明治維新以降の国家行為の責任もまた一切が現政府にまで継承されてゐるとするのがもつとも自然であり、十五年戦争をはじめとするそれらは歴史と言ふよりも近い過去と言つたほうが相応しいからである。)
 右のやうに十五年戦争に関する司馬遼太郎の感想はごく簡単に判る。しかしそれでは一般名詞としての戦争についてどのやうに考へてゐたのだらうかといふことになると、これがなかなか難題で直接的に言及した文章はほとんどないと言つてもいいのではないだらうか。
 そこで本人の筆によるものがないのならば他人の書いたものを参考にするしかない。ここで引くのは、丸谷才一の『司馬遼太郎論ノート』。このなかで『笹まくら』の作家は「どうやら司馬は、戦争といふ人類共通の愚行そのものに対しては、決して肯定したり賛美したりするのではなく、むしろ沈痛なおももちで諦観してゐる」と言ふ。この部分を読んだとき、私は現代日本においてもつともよく司馬遼太郎を理解してゐる人物は丸谷才一であると確信した。信長や、秀吉や、西郷や、土方歳三を描きながら司馬遼太郎の見せる一種沈鬱な風情はまさしくこの諦観といふことばにぴつたりとあてはまつてゐる。彼は戦争といふものを否定しないし、戦場にあつて勝利を導く有能な指揮官に対しては無制限と言へるほどの賛美を贈りはするが、しかし戦争といふ名の殺人を肯定したり賛美したりはしない。むろん否定の意を全面に押し出すことはないが、小説のなかの戦争の描写にはどこか「人間は太古の昔からかういふことを繰り返して……。愚かだなあ」といふ悲しげな雰囲気が漂つてゐると言ふことができるのではないだらうか。侵略戦争だらうが祖国防衛戦争だらうが、それは戦争である限り等しく愚行であり、沈痛な表情を誘ふものにほかならない、といふのが司馬遼太郎の基本的な態度なのである。そしてそれは戦争に対して私が抱いてゐるやうな激越な怒りではないにしても、生理的な嫌悪感を伴ふ感情であるには違ひない。
 例へば『竜馬がゆく』を見よ。竜馬は死に急ぐ志士たちを北海道の屯田兵にしようといふ気宇壮大な計画を練る。また『燃えよ剣』では、最期の一戦を前にした土方歳三が年若い隊士を函館から落してやる場面があつた。ここに流れてゐるものはいつたい何だらうか。それは軽々しい死を嫌ひ、生命がいかに重いものであるかを暗黙裡に語る主人公たちの姿であり、人間が殺し合ふことに対して筆者が抱いてゐる軽蔑の現れだと言へるだらう。
『坂の上の雲』の筆者にとつて戦争とはさういふものであつた。

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 司馬遼太郎は決して右翼でも何でもない。確かに『坂の上の雲』のなかで「日露役は祖国防衛戦争だつた」と言ひ、かつそれは回避不能な戦争だつたとして一応の肯定は見せてゐる。しかしながらそれを以て彼を好戦主義者、帝国主義者とすることは大きな誤りであつて、司馬遼太郎の日露戦争評には納得し難い部分はあるにしても『坂の上の雲』の筆者が積極的に戦争といふ行為を賛美してゐたわけではないだらう。彼において「日露戦争は回避できない祖国防衛戦争」だつたが、しかしながらだからと言つてそれが義戦だつたといふ考へ方は持合せてはゐなかつた。彼にとつては十五年戦争も日露戦争も、あるいは朝鮮戦争もベトナム戦争もすべて戦争といふ人類共通の愚行でしかなく、防衛戦争だから正義であり侵略戦争だから悪だといふ図式的な認識はなかつたのである。司馬遼太郎における戦争とは、沈鬱な表情によつて諦観すべきもの、生理的嫌悪感を伴ひながら見つめるものでしかなかつたのではないのだらうか。
 あるいは人類がこの世の中に存在し続ける限り戦争は繰返されるのかもしれない。しかしだからと言つて、我々はそれを肯定したり賛美したりすべきではないのだらう。戦争といふ愚行に相応しいのは司馬遼太郎のやうな沈鬱と諦観といふ態度だから。





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最終更新日  2006年12月18日 08時59分55秒
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