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忍者といふ近代 『梟の城』 1 藤沢周平のなかで忘れられない作はと問はれれば、十五の年に読んだ『蝉しぐれ』もいいし『三屋清左衛門残日録』も『海鳴り』も登下校の電車の友だつたからどれがどれとも決め難いくらゐに思ひ入れがあるのだが、最高傑作とは言へないもののちよつと捨てにくい味があるといふ意味で『隠し剣孤影抄』『隠し剣秋風抄』を挙げることもできるだらう。この作者が剣客小説に開いた新境地については今さらくだくだしく書きのべることもなからうが、この二冊に収められた十六篇はいづれも藩士としての勤めを持つた(ただしうちひとりは女性である)剣の達人たちを扱つてゐて、いささか旧来の孤高流浪の剣客小説とは趣を別にしてゐる。 まづ第一に彼らは皆藩といふひとつの社会、組織に帰属する生活者としての存在である点。そのためにかういつた剣の達人たちが一剣を以て立ち会ふにはそれ相応の理由がなければならず、必然的に綿密な心理描写と性格づけや合理的な話の運びが必要となり、小説としての完成度が高くなつてゐると言ふことができる。例へば昔の剣客小説は一作の内に何度も敵に襲はれて斬り合ふことがよくあるが、それは主人公が浪人であることが多かつたために身軽に剣を振はせることができたからであつて、藤沢周平の小説に出てくる侍たちは藩士としての立場があるからさうむやみに刀を抜くわけにはゆかない。そこで書手が武士の一分にかけてどうしても抜かざるを得ないやうな状況を一々きちんと作り出さなければならず、そして何しろ筆者は聞へた物語上手だから結果として完成度が高くなるといふわけなのだ。 第二には剣客たちが剣に寄せる誇りの高さを挙げることができるだらう。藤沢周平に出てくる剣の達人はごく普通の勤め人(藩士)だといふことは右に書いた通りだが、筆者は平凡な生活者としての彼らに現実味を与へるために何らかの弱点を付加へてあるのだ。例へば鑑極流の瓜生新兵衛は臆病者で、猪谷流の畑中邦江は醜女であり、井哇流の三谷助十郎は好色、東軍流の三村新之丞は盲目である。彼らはさういつた様々な弱点を持ち、そこに引け目を感じてゐるやうなごく普通の存在であり、そしてそれゆゑにいつそう自らの剣に対して深い誇りを抱く。いはばこれらのひとびとにおいて剣は自尊心を保つための心の拠りどころなのである。 そして第三。彼らがぎりぎりの場面に立たされたとき常に、藩士ではなくて剣客としての自分を見出すこと。日常生活のなかで藩といふ社会にくるまれてゐる剣客たちは、頼れるものは藩や組織ではなくて自らの一剣のみであると気づいたときに真の存在(普段感じてゐる臆病や好色といふ引け目をかなぐり捨てた)となり、自分の運命を打開し、多くの場合好転させる。すなはち藤沢周平の剣客小説の眼目は日常から非日常への、藩士から剣客への飛躍の部分にあると言つていい。 さて以上の三つを綜合するとどういふことになるのか。藩といふ組織のなかでいくばくかの引け目を感じながらも剣への誇りを支へとして過ごしてゐる平凡な藩士たちが、何らかの事情により一剣を頼むしかない状況下におかれたとき突如として剣客としての存在に戻る……。そんなことが言へさうである。藤沢周平の剣客もの(正確に言へば、剣の達人である藩士たちの物語)が会社勤めのひとびとに人気があるのは、まさにかういつた藩士たちの姿に自分を重ね合はせることで、組織から距離を置いた生き方への憧憬を満足させることが可能だからであらう。剣客たちは表面上は組織に属し、日常に縛られながらも、その深いところにおいて藩社会とはまつたく別の価値体系(剣の道)に身を置き、本質的には藩といふ組織を必要とはしていない。あるいは藩に属してゐながらもそれを頭から信用したり依存して生きるのではなく、組織を一応の纏りとして捉へつつ不即不離の関係で暮してゐるのだ。組織のなかにあつて剣といふ技能によつてゆるやかに独立してゐる男たち。それこそが『暗殺の年輪』以来藤沢周平が追求してきた人間像であり、だからこそ彼の描く剣客たちは共感を呼ぶのではないだらうか。それは我々でも何とか手の届くところにある組織人の理想像であるから。 あるいは会社勤めのひとびとが医者や記者に憧れるのも、彼らが病院や新聞社といふひとつの組織に属してゐるのにも関らず、本質的に組織とは距離を置いてつきあふ職種であるからなのかもしれない。かういつたひとびとは組織のなかにあつて組織に完全に飲みこまれることなく自らの人生を送る点でどこか藤沢周平の剣客たちに似てゐて、それゆゑに組織に縛られてゐる者にとつては憧憬の対象であり得るから。 2 さて忍者が職業であるといふことを最初に気づいたのはどうも司馬遼太郎のやうであるが、ここで彼の『梟の城』によつて忍者経済学とでもいふやうなものを考へるとすれば、まづ何よりも特徴的なのはその契約が一時的なものであつたことであらう。すなはち伊賀甲賀の忍者たちは大名たちの仕事を請け負ふたびに新たな契約を交はして料金を受取るのであり、決してひとつの家中に丸抱へになることはなく、契約が切れれば平気で敵方とでも新契約を結ぶ。まるで現代の野球選手を見てゐるやうな気がしないでもないが、ともかくこの間の事情は葛籠重蔵の「忍者は忠誠を売る者ではなく、技能を売る者」といふ認識に端的に表れている。契約ごとに自らが身を置く組織とはあくまで商売としての関係。払つてもらふ給料に有難味を感じる必要もなければ、忠誠心を捧げる必要もない。組織は利用し、利用されるものだといふのが忍者たちの率直な感想だらう。 彼らは組織に属することはあつてもそれを頼むことはない。大名の家中に雇はれるときもさうだが、例へば伊賀者どうし甲賀者どうしで集団を作る際でも徹底的に個人主義であり、組織を頼ることを堅く戒め、あるいは軽蔑する。それは彼らに他者の真似できない技能が備つてゐるからであり、そのことに誇りを持つてゐるからこそ、組織とは不即不離の関係にあることを重んずるのだ。さう、まるで組織を頼ることは無能であることの証明であるかのやうに。 忍者たちは大名家の組織とはまつたく異なる「技能」といふ価値体系に身を置いてゐるために組織を必要とせず、そこから独立してゐて、例へば伊賀者でありながら大名家に仕官してしまつた風間五平のやうな存在にしても抱へられた翌日から組織に依存するごく普通の侍になるわけではなくて、家中とは一歩距離を置いた特異な存在として重蔵と対決するのである。そしてそこには藤沢周平の描く剣客たちと一脈通じるところがあつて、組織とは仮象のもの、頼りにならないもの、距離を置いて利用するもの、といふ本質的な態度が見え隠れするのだ。もしそこに差異があるとするならばそれは、葛籠重蔵はいまだ社会体制の固りきつてゐない時代の子であり、藤沢周平の剣客たちは江戸時代といふ強固な社会体制下の存在であるところに由来するものにほかならない。そしてそのことは重蔵と臆病な剣の達人との間に風間五平といふ補助線を引いて見ればいつそう鮮明になる。 藤沢周平と司馬遼太郎がことに愛した剣客と忍者。それはどちらも組織からの独立、組織のなかでの独立を暗示する主人公たちだつた。さてここで明敏な読者はいささか伝記的な事項を思ひ出さなくてはならない。『暗殺の年輪』も『梟の城』も新聞記者をしながら書かれた作品なのである。新聞記者といふ職業について知るところはあまり多くはないが、少なくとも普通の会社勤めのやうな息苦しい世界でなささうなことは何となく想像がつく。社会部とか文化部とかの組織はあるもののそれはあくまで一応の纏りに過ぎず、記者たちが信じるものは自らの能力のみ。組織を頼つて仕事をするのは無能の証明。それはまるで剣客や忍者と藩(大名家)との関係のやうである。暗殺者であつた父親を持つ剣の達人や秀吉暗殺に跳梁する伊賀の忍者を描いたとき、二人の作家は新聞記者の生き方を参考にしながら主人公たちと組織の関係を決めていつたのではないだらうか。 特に司馬遼太郎の描く忍者を見てゐるとさう思はざるを得ない。その技能と組織に頼らない自由な精神に誇りを抱き、身ひとつで世の中を渡つてゆく。そんな葛籠重蔵を目にするとき、我々は「生れ変つても新聞記者になりたい。それも産経新聞がいい」と言つてゐた作家を思ひ出し、ふたりを重ね合はせてしまふのである。重蔵の感じたやうな自由や誇りはきつと金閣焼失の記事を書いてゐたころの司馬遼太郎も味つたに違ひないし、何よりそれを愛してゐたであらうことは容易に想像がつかう。彼がここまで忍者を好み、その初期において忍豪作家といふ綽名まで頂戴したのは、組織からのゆるやかな独立といふ点において新聞記者と共通する部分を感じたからであらうし、ひるがへつて言へば藤沢周平が藩士としての剣客たちに共感を覚えたのもまさしく同じ事情だと考へられる。 忍者も剣客もふたりの作家たちにはひどく親近感を抱かせる存在だつたのだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006年12月18日 09時09分12秒
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