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カテゴリ:アレクサンダーテクニーク
お友達に出したメールをそのまま転記しま~す。支離滅裂かも・・・
今日はアレクサンダーテクニックのクラスがありました。2回目です。以前も衝撃的でしたが今日はもっともっと何倍も衝撃的でした。人間の本来の動きって体が楽に動くんだという事を見ました。座って立つというだけなのに、ただそれだけなのに、本当に深いワークです。立つそして座るという事って無意識に日に何度も何度もしているけどその度にきっといろいろなところに負担をかける癖が付いているだろうなあ・・・などと思いながら、「立った気がしなかった」「いつものたち方や座り方と違う」などというクラスの人の素敵な感想を聞きつつ、さて今度は自分が実習です。ただ椅子に座るだけなのに、動けない自分がいました。ただ立っていてそこからひざを前に折って股関節を後ろに折っていくだけなのですが動けないのです。特にひざが固まってしまって、動きません、いったい私はどうやってひざを曲げていたのかしら?え?私のひざはどこって感じでビックリ。うまくいきません。その時は3人一組で実習をしていたのですが、その後前に出てデモをしてもらいました。ただ立ってそこから座っていくのですが。(まあその前にやり方みたいなものの勉強をしているのですが)えー?私はどうやって座っていたのかな?などと思考が回りだして、ぐるぐる、うまく説明できないのがもどかししい・・・今日勉強したことをそのまま書いてみるね。いすが一客置いてあります。そこに「どうぞ座って下さい」と言われるけど、ただそのいすの前にただ立つの、 アレクサンダーはここから始まるんだ。「座ろう」と思うことを止めるんだ。ただ立っていて、膝下筋のあたりが椅子に触れていることはわかっているけど「座るかどうかはわからない」んだ。それって、「座る」と決めると決めた途端に「座る」用意を体や心が始めるから。すると座る癖が生まれるそんな感じ。座る用意を始めてしまったら、そこから歩くとか飛ぶとか手を使うとか他の動作をしようとした場合その行為自体に移る方向性が失われてしまう。うーんとね。違う言い方をすると、注意のベクトルみたいなものがあったら、選ぶ事ができる時は四方八方にそのベクトルは自然に広がっているんだけど、「椅子に座る」と思っただけでベクトルが椅子を示してしまう。たとえばベクトルを100持っていてそれが自分を中心に四方八方に広がっているんだ。だけど椅子に座ると思っただけで広がっていたベクトルが一本になって100の束になって椅子に向かって刺さるみたいな、感じかな。自然な協調性のあるからだの使い方をしている場合は100の束にはならないんだと思う。必用最低限の動きだけで、座るから、立っていて座っていく動作を10段階に分けたら、どの段階からでも他の動作に移ることができるのじゃないかな?まだまだ初心者マークの私です。だから何に気づいたかと言えば、決め付けをしなければ、どんなときでも選ぶことができるということです。私は立っていて座る動作に移るときに膝を前に向かって折って股関節を後ろに向かって折っていけばいいのに、ただそれだけでいいのに、どうやって膝を曲げていたのか?考えようとしていたんだ。だからなんていうのかな、考えながら膝を曲げて座ろうとしていたときは、体の前が圧迫されて、頭も痛くてとっても辛かったんだ。でも膝を前に向かって折って股関節を後ろに向かって折ってという指示だけを出したら自然に座ってたそれに、辛くなかった。きっと協調がとれた座り方をしたんだと思う。ほんとうに自然な座り方、変な癖が付いていない座り方だったのだと思う。でもアレクサンダーって座り方の練習をしているんじゃないんだ。癖を取ってるのだと思う。体の癖・心の癖。今までなんらかの理由でつけてしまった無意識レベルの癖を取っているのだと思う。その証拠は、今日アレクサンダーの教師の人に呼ばれて人前に出たとき、実習をやっていて、どうしていいかわからなくなったの。それは感情レベルの葛藤みたいな感じ、うまくやろうとすればするほどできない、そんな感じにも似ていたし、あなたの言うとおりにしているのに、何が違うの?そうこうしているうちにとっても悲しくなってきて泣きそうになりました。で・・・以前の私だったら号泣していたかもしれないけど(3イン1のときは泣いてたなあ)クラスの進行をふと考えてコラエマシタ。でもかなり深い部分でブロックしていたものの正体がおぼろげながら見えた気がしたんだ。で帰りの車を運転しながら泣きながらいろいろと考え続けました。3イン1で手や足の末端に行けばいくほど無意識レベルというのもふと思い出しました。膝のバロメータはなんだけ?などと思いつつ、カウンセリングも役立つなあとおもいつつ、意識レベルの年齢遡行もしつつ、です。忙しいですね。でメタファーのクラスの時に見つけたこと「ストレスがかかった時に私は戦いもせず逃げもせず凍りついたという事」の次の段階にいけたのだと思う。困った事が起きたときは、凍り付いて相手をじっと観察して、相手の気持ちを汲み取り相手に気に入られるように動く・・・・この癖がついたんだってこと・・・相手に気に入られることにより危険を回避と思ったんだねえ・・・そのおかげで本来自分が動きたい方向、つまり本音の自分のがしたい事動きたい方向に動くことができなかったのだと思う。足のブロックですね。ついでに手もブロックしてつかみたいものものもつかまず、みたいな感じ、人のために尽くして状態で3イン1の痛みの態度の殉職者の立場に入ったのかもね、3イン1も勉強していた事が自分のバックボーンになっているんだなあと今日改めて実感しました。無駄なことってないよね。でアレクサンダーって「何かをする」のではなくって「やめる」んだよね。で相手に気に入られるように動くことはやめました。他にもいろいろとたくさん気づいたんだけどTFHで未来の不安を取るというのをレベル2でやって3で過去に入るけどあれも段階踏んでるよね。未来への不安って単独では行動しないよね。過去の何らかの経験があってこそ未来の不安が培われる、だから何に気づいたかといえば、未来の不安を予測した途端に注意がそっちに行ってそれが目標設定になるッテこと。体も臨戦態勢に入るッテことなんだ。未来に対する不安を感じたら即座に取ってチャージを減らすというレベル2の手法はなかなかにいいんだなあ・・と思ったんだ。私自身教えていながら忘れがち、病気がひどくなるのではないか?明日はもっと痛くなるのではないか?って未来に対する不安だよね。これってやっぱり何気に予想しているから、注意が病気がひどくなる方向、痛くなる方向に行っている。予測した途端にそれに反応して身体の癖も一緒に出るんだと思う。だからESRでチャージを減らしたあとに、バランス調整も受けて無意識レベルの癖まで一気に取るとかなりのチャージが下がるんだと思う。アレクサンダーではそこを教師の手がするんだ。本人がわからない無意識レベルの癖に手を置いて癖をださせないようにしている、そんな気がした。だから、おととい会った時に左右前後上下ののバランスが取れた楽な位置に入った途端に手のむくみが取れたんだと思う。だけどそれがすべてて、これがいい位置というのにこだわり始めると逸脱したのが悪い位置という事になるから、いい位置にキープしようとして、余計な緊張が走って、症状がでたのかもしれない。だから指示を出すなら、身体全体がだら~んとして、頭はC1を軸として楽に微細に動く、背中は広背中でく呼吸をして、背骨は長く楽、ひじは曲がる、肩は回転する、みたいに決めるといいと思う。今日寝るときにさっそく自分にも試してみるね。今度行ったときにも一緒にしようね♪ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
April 22, 2005 01:41:45 AM
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