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せんだって日記

2005.03.01
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テーマ:ニュース(79553)
 せんだって、浅薄なthe juon CMクレーマーの抱える深い闇に踏み込んだのもつかの間、こんどは神奈川県で残虐ゲームが有害図書指定されるという。
 業界団体である、特定非営利活動法人コンピュータエンターテインメントレーティング機構(http://www.cero.gr.jp/index.html)が、自主規制による年齢別レーティングをしているわけだが、それでは足りないとばかりに罰金刑付きの条例を小売店に課すようである。
 大人で良かった。神奈川県に住んでなくて良かった。

 キチガイはどこにでもいて、そのキチガイが粗暴で残虐な犯罪を犯す(かもしれない!)トリガーをできうる限り減らそうとする意図はわからないでもない。

 この条例を支持するのは、例によってやはり虚構と現実の境目が曖昧になってしまった善き父母なのだろう。
 ここで善き父母が掲げるのは「我が子」への影響である。我が子をキチガイにしないためと称して、販売店にさらなる努力を求め、罰金刑を含む条例を支持するのである。もうキチガイみたいじゃないですか。
 近年、ゲームとかなんかそんなのが犯罪の免罪符として機能している状況がある。
 ひょっとしたら、我が子がなんかイカンことをやらかしたときに、ゲームに影響された、といえば情状酌量を買えるようにしたいという深謀遠慮が働いているのかもしれない。慧眼慧眼。おみそれしたいです。

 私とて、エグい、それこそCEROで18歳未満に注意を喚起しているようなソフトの内容が子供の情操面にとってまったく影響がないなどと言うつもりはないが、役人や善男善女が恐れおののくような、こう、血が出たり、見苦しいほどリアルに殺傷したりっつー見た目わかりやすいものだけがマズいというのは、問題の根本をわかってない、つまり、愚かな対策であると言わざるを得ない。

 残虐描写のマメなソフトはそれが売りなものでさすがにエグい画がてんこ盛りで、リアリティある「痛そう」な表現はプレイヤーにある程度の現実感をもって迫ることになり、やはりちょっとキツく、「ああ、残虐ってイヤなものだなオエー」と思わせてくれることもあろうが、その描写をかわいらしく非現実的に糊塗したもの、それはたとえば動物を虐待する動作をディフォルメしたスーパーマリオや宇宙人や宇宙人の乗り物を大砲で撃つ大量殺戮をタスクとしながらその事実を8×8ドットのイコンにして殺戮の自覚をなくすように演出されたインベーダーゲームなど、つまりは「痛くなさそう」に演出された抽象化レベルの高い、それはすなわちゲームとして出来のいいもののほうが、そうとは意識しないまま粗暴な振る舞いを心の深いレベルに刷り込んでいくわけで、では神奈川の善男善女諸君はどこで「残虐だから有害」という線引きをするのだろうか。将棋や囲碁は戦争ゲームなのだ。人生ゲームは子供が生まれるのだからきっとセックスしてるのだ羨ましい~。

 高度な抽象化によって、暴力の快感や問題行動への誘惑を巧みに隠されたゲームの方が影響は強いのだ。それはもう力一杯「たぶん」と断言できる。

 残虐=ダメ、ゼッタイという役人や善男善女は、抽象化されたモノを読み解くことができないのだろう。見た目わかりやすいストレート表現しかわからないような大人がけっこうな数で存在することに、底知れない恐怖を覚える。
 悪いことはしちゃダメ、ゲームテレビマンガなんかに影響されるのはちょーダセぇ、と教えるのがそんなに面倒くさいのだろうか。って、子の無い私が言うのもなんですが。
 親が自ら行政や販売店といった第三者に子供のしつけを任せて、考えたり子供と向かい合ったりしなくて済むように願うのはなぜなのかね。

 審査ったって、どうせいい歳した役人が白髪頭をならべて、「うーむこれは残虐な映像ですな」「剣呑剣呑」とか言い合いながら、とっくにCEROで自主規制されてるゲームをあらためてプレイし、ゾンビやアンドロイドを撃ったり斬ったりして「認定」をくださるんだろうよ。
 残虐描写のリアリティだけでなく、ゲームルールの動機づけ、ひょっとしたらストーリーの文脈まで踏み込むかもしれないが、ゲームデザインの根幹や抽象化レベルまで汲み取った規制などなされないことは目に見えている。ゲームっつーメディアの性質をわかってたら、そもそもこのような条例が発案されるはずがない。

 斬って血が出る描写が問題であるのなら、時代劇とくに黒澤モノまたは『新撰組!』なども問題アリと判断するのか、では『バトロワ』はどうよ、という議論はこの手の話題では定番で、反論としては「ゲームはアクティブな遊戯であるから有害、客観として観る映画やテレビの暴力描写は有益」と言われる。チャンバラごっこしましょうよ。
 ていうか、ここらへんの話はあらゆるところでループしているのでもうどーでもいいが、結局はゲームというメディアの影響力に対してよくわかんねー信頼を置いているのだろう。the juonクレーマーと同じ心理だ。

 芥川賞作家であるブルボン小林も『ジュ・ゲーム・モア・ノン・プリュ』の中で、この手の話に触れてて、すっげ感心したので意訳しつつその文章の内容を解説する。「『GTA3』というゲームがあって、主人公は一人のギャングとして成り上がるのが目的なのだが、その自由度の高い世界では銃やバットで人を殺すこともできるし、車で人を轢くこともなにか構造物を破壊することも自由。ただし、ゲーム中の警察に追われることになるが(賄賂を払えば)すぐに出所することができる。ここで重要なのは、信号を守り、人を傷つけずにミッションにあたる自由もあるということ。ただし、ギャング世界に合わせたチューニングになっているのでそのほうがゲームとして難しい。そして、これは子供に買い与えてもいいと思う。ぜひ一緒に遊ぶべきだ。コントローラーを握る必要はない。主人公が人を轢き殺すたび、街頭をなぎ倒すたびに『なにやってんだ馬鹿、あーあ』とゲラゲラ笑ってやればいい」という。
 このツッコミによってゲームは「所詮」虚構にすぎないと、悪行の限りを尽くすゲームでも、そこに不謹慎な「笑い」が介在することによって、己の中に宿る残酷な感情を客体化する視座を設けることができると。
 たかがゲームによって複雑に変化する人間の感情を、他ならぬ自分の体験で学ぶことができるのは、子供にとって絶対に好影響である、と筆者はいう。ほんとはちゃんと読んで欲しい本なので買って読まれたい。

 神奈川の条例を歓迎するような世の良識人に「足りない」のは、この「所詮」「たかが」ゲームという冷静な視線であり、あたらしいメディアに対応する知恵であり、人間の感情に対する無関心なのだと思う。
 残虐な描写をきっかけとしてキチガイが犯罪に走るから、ヨソの家のキチガイなガキと残虐描写をなんとかせんとイカンというのなら、やや神経質ながら社会不安と安全保障ということで、まだ通る理屈ではある。
 自分の子供への影響を規制の理由にするのは、親の思考停止とネグレクト以外になんかあっか?

 どうせこの条例は、本質的な影響ではなく見た目だけの思考停止的な判断から規制がなされるに決まっている(お役所とはそういうものだ)のだが、私にはその役人や良識人こそがゲームの中のゾンビに見える。集団でじわじわと行動し、みずからの頭で考えて判断することがない、撃たれても壊れるだけで死なない、腐っているなど、似てるぅ!






最終更新日  2005.03.02 22:50:35
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