|
テーマ:たわごと(27820)
カテゴリ:表現規制とかそんなの
科学者ではない、あるいは科学者の風上にも置けないの拾遺、あるいは森昭雄博士のゲーム脳講演に対する私の印象。
まず前回のエントリ内の 盲人は全て、視覚野の活性が低いはず。 森博士の展開する脳発達のリクツは、盲人は全てキレやすく、無口、無気力、集中力皆無でないと、簡単に破綻する。 盲人は全て、ゲーム脳以前の段階で、脳が発達できないことになっている理論。 こんな差別的なニューロサイエンスもあったものではない。 科学者の風上にも置けない。 ちょっと許せない。 の部分は、私の勇み足であり、調査不足です。 ●http://www.nips.ac.jp/fmritms/contents/1.html ← このサイトにあるように、先天盲でも視覚野の活性はある、との研究結果があります。 また、「自然/自然でない」の線引きは、私がしたものです。 講演からの印象では、森氏がいう「自然」は、いわゆる日本古来の四季の風景とか、ホタルやクワガタなどの昆虫を見ること。つまり“視覚情報のみによる自然”というふうにとれました。「自然」とは耳ざわりのいい言葉ですが、視界一面が雪原や砂漠といった自然風景は、脳発達において考慮されていないように感じました。 五感の中でことさら視覚刺激に偏重した考えであることも、気になりました。 盲人が点字を読む時、触覚が視覚野を活性化するという例はあるようですから。 私は、川の水の冷たさや春の夜の風の匂いなども自然体験だと思います。事実忘れられない思い出として身体に刻まれていますし、汗で滑るコントローラーの握り心地さえ大切な経験ではあるのですが、森氏の研究方法ではこのような時の脳の働きは対象外なのかな、と思いました。 素人考えではありますが、前頭前野の活性低下やβ波の低下が認められたとして、それは「やる気がなかった」あるいは「慣れの問題」または「そのゲームの習熟度の差」ではないのか、という素朴な疑問があります。 たとえば、映画を見て涙を流したとして、その涙の原因は「感動」か「あくび」か「目にゴミが入った」か、いろいろな可能性は考えられるはずなのですが、それを確認しないまま「感動」と決めつけるような感じです。 その素朴な疑問を晴らしてくれるような情報は、ありませんでした。 また、講演で例示した脳波について、極端な一例を選んだものである可能性は否定できません。 講演という条件ゆえに情報を簡素化したのかもしれませんが、森氏はあの場ですべてのデータを開示してませんし、グループ例としての傾向のようなものも提示されず、あくまでひとりの脳波のスキャンを出したのみです。 恣意的なデータ操作があった可能性を否定しきれるようなプレゼン内容ではありませんでした。 などなど。 いろんな疑問はあるのですが、これは私が「ゲーム脳」に懐疑的な先入観を持って講演を聴いたから抱いたものです。 会場にきていたほとんどのお母さんたちは、「漫画ばっかり読んで、ゲームに夢中になって、いくら叱っても宿題をしない子の聞き分けを良くする特効薬」を求めていたのではないかと思われます。 「使えるワンフレーズ」を欲していたのではないかと思うのです。 そのようなニーズに対して森氏がなんらかの働きをしたかというと、これもまた疑問です。 ゲーム脳講演が示したのは「脳が壊れるからやめなさい」という叱責の新ボキャブラリーだけで、子どもの聞き分けがよくなる新手法ではありませんから。 森氏からは「読書をさせよ」というアドバイスもありましたが、そもそも子どもが読書をしたがらないからこの講演に来てるお母さんだっていたはずです。 ■ あらかじめ負け試合だったこの講演をすこしでもこちらに引っ張ってこれたのは川端さんの行動の賜物です。現状で可能な最大のゲインだったと、私は思います。 川端さんにあらためて感謝します。 2005年5月ころ、ジュベネイルガイドと野田聖子議員の先導で行われたエロゲ規制法の件で痛いほど思い知らされたのだけども、論理的であるとか科学的であるとか、そういった反論は現実的には存外無力です。 専門家が森ゲーム脳理論を否定するといった「権威主義」でどうこうなるようなレイヤーの話ではない気がします。「正しい」情報を届けたい相手にリーチしないからです。 正しさはニーズではないからです。 いや、これは一対一で話せばわかってくれると思います。 実際に顔をあわせて時間をかけて話せば、ゲーム脳に代表される擬似科学でもって子どもと向かい合う危険性は絶対にわかってもらえます。 しかし、ネットや書物で「啓蒙」するのは、非常に難しい。「正論」にはフックが足りないのです。 『ゲーム脳の恐怖』。 恐怖。 ゲーム脳理論は、恐怖という感情の強さと脳波という科学っぽさが悲劇的に合体した厄介なフォークロアです。 ゲームばっかりしている子どもに手を焼く親御さんのニーズに合致した、非常においしいジャンクフードです。 大人は言います。 「栄養の無いスナック菓子ばかり食べてないで、ニンジンやピーマンも食べなさい」。 「ゲームばかりしてないで、宿題もしなさい」。 これは大人にも言わないといけないのでしょうか。 「おいしいゲーム脳理論に頼ってないで、不味くても子どもとしっかり向かい合おうぜ」。 ゲーム脳理論を信じたい人は実際にいて、そういう人たちは「正しさ」を求めてないっぽいんです。 我々オタクや科学畑の人間は、ともすると「ゲーム脳? うそっぱちだよ(笑)。」で一蹴できると判断しがちですが、それじゃあ「良い子ならざるウチの子」をどうすればいいのか、というニーズに答えられないわけです。 結局は、不味くて地味な、あたりまえのことが大事なのだという結論に行き着きます。 みんな、そんなことは「知っている」し、実際に過不足無くコミュニケーションをとっていると思っているのですから、説明がつかないわけです。 ウチではちゃんとやってる(と思っている)のに、ウチの子は「良い子」ではない。 いみじくも、これは「論理的に」説明がつかないことではないでしょうか。 ゲーム脳理論がイエロージャーナルの経路を伝って伝播したように、科学(とか常識)にもイエロージャーナリズム的なアプローチが必要なのかもしれません。 みっともないことですが、結構マジで思ってます。 しかしそれはたとえば森氏をカルト認定してしまえば済むような話ではなく、そのカルト認定情報もまた、届けたいトコロにはリーチしないでしょう。 その点で、前回、前々回のエントリにおいて、講演会場をあたかもカルトや自己啓発セミナーの場であったかのように書いたのは、私自身、黄色くなりすぎたかもしれません。 ミスリードとなってしまったかもしれません。 あの会場において、講演者と聴衆の関係がカルトあるいは自己啓発セミナー的であったかというと、決してそのようなことは言い切れないのですが、舞台装置としては非常に危なっかしいものを感じました。 講演者と聴衆の結びつきはそれほど強固とは言えませんが、会場の作りや講演の構成は自己啓発セミナーにそっくりで、いつ「向こう」に転んでもおかしくないと思いました。コトが論理的整合性とは関係ない位相であるだけに、なおさら危なっかしいと思いました。 正直、会場があの半分の広さなら危なかったと思います。 森氏は、川端さんの質問に答える態で「私は日本人です。日本の子どもが壊れていくのを見逃せないんです!」みたいなことを決然と言い放ち、万雷の拍手を呼びました。 川端さんの質問には、実際に日本の子どもが壊れているかは疑問だという趣旨の内容が含まれていたのですが、その部分をぶっとばしての拍手喝采です。 この論理のすり替えを、私は森氏のプレゼンの上手さだと解釈しました。 形而下的な宣言とテンションで、反論を跳ね返すことも、スキルです。 気になっていることがあって、このプレゼン上手の森氏は、講演中に何度か文部科学省との関係をほのめかす発言をしました。 森氏の真意ははかりかねますが(単なる権威付けかも知れない)、もし文科省に喰い込んでてこの先「ゲーム脳」が制度に組み込まれるようなことになるのは、マジでどうかと思うのです。 じゃあ、我々はどうしたらいいのか。 えーと、どうしましょう? ■関連ブログ リヴァイアさん、日々のわざ 「わたしも検索をしていただきたい」と主催者は言った(世田谷区のゲーム脳講演リポート3) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006.03.09 16:33:47
コメント(0) | コメントを書く
[表現規制とかそんなの] カテゴリの最新記事
|
|