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カテゴリ:親不知
せんだって、十年ぶりに奥歯の奥に仕舞って忘れていた激痛が目を覚ました。
途方に暮れ、インターネットの情報に翻弄され、痛みのあまり絶望し、歩くと響く頬を押さえながらさまよっていると、インターネットでは名前を見なかった歯科医があった。 受付に飛び込むとガラガラに空いている。若い女性が出てきて、にこやかに対応してくれた。診てもらえるということはありがたいが、空いているのが不安だ。 待合室の水槽には、亀が一匹泳いでいる。スッポンだ。一度噛みついたら雷が鳴っても離さない亀。 呼び出しを待つ間、いやな予感が膨らみ続ける。 なんだかんだと理由をつけて、口腔外科を紹介してくれず自前で抜歯、インプラントを奨められ、その後べつの虫歯が発見され、保険のレセプトにまみれていつまでも抜け出せずにここに通い続ける自分を想像する。 スッポンは鋭いツメで水槽の緑色に濁ったガラスをひっかいている。 呼び出されて診察室に入ると、三台ある拷問器具はいずれも空いている。 それらは一様に真新しく、最先端技術で武装されている。一台一台にナナオのディスプレイがついていて、そこには患者の退屈しのぎなのだろうか、アメリカのカートゥーンが流されている。気が利いているように見える。 拷問器具に座って待つ。 私のプランは決まっていて、十年前に歯科医から言われていたことだが、左下の親知らずは口腔外科で抜く以外にない。私が怖がって抜かなかったから、いまごろこんなに痛いのである。だから、とりあえず痛みを応急処置で誤魔化してもらって、口腔外科への紹介状を書いてもらいたいだけなのである。歯科医にとってはオイシイ患者ではないかもしれないが、そこまでは十年前に来た道なのである。 なかなか医師は来ない。 歯医者の拷問器具の上に乗ると不安になる私だ。 この最新式の器具、いまに金属製の輪っかが「カシーン!」と出てきて私の手首足首を拘束し、身動きがとれないまま、さっきの若い受付の女の子に犯されるのではないかという妄想に捕われる。 ナナオのディスプレイでは、ネコが虎挟みを口にはめて、瞳を怪しく輝かせ、逃げるネズミを食べようとガチガチいわせているシーンが流れている。 お待たせしました、と声が聞こえ、歯科医が拷問器具の横にやってきた。 彼は、人畜無害を絵に描いたような風貌をしていた。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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