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せんだって日記

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2007.03.29
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カテゴリ:親不知
 せんだって、生まれてはじめて歯医者で右手を挙げた。
 歯科医はあわてて局部麻酔の注射を追加した。ちくりともしない注射だが、麻酔液が歯ぐきを膨らます感触はある。
 涙を拭って麻酔の効きを待つ。歯科医師は退屈そうにしている。
 歯と骨の破片や血液はバキュームで吸われていたが、口を開けっぱなしでいたので喉が乾いていた。
 助手の女の子にそのことを話すと、うがいの許可が出た。しかし今歯ぐきは切り開かれて骨まで見えている状況だ。激しいうがいはしてはいけないと言われた。
 年下の女の子に、してはならないことを注意されるのは好きだ。
 静かにうがいをすると、赤黒く濁った水が吐き出された。口の中がどのようになっているか想像すると、手術の終わりが思いつかない。
 ふたたび歯科医は「coz I'm a dentist」を唄い、骨削りの続きを始めた。
 下顎の骨を削り終わったら、いよいよ親知らずを引き抜くことになる。
 鉗子が口の中に入れられると、頭の中で骨が折れるような、または、頭の中でクリッパーで鎖を切断するような音が聞こえた。
 鉗子で歯の薄い部分を折り取っている。
 ずいぶん大雑把なことをする。プラモデルだってこんなに雑な扱いはしない。
 「coz I'm a dentist」はサビに入り、歯科医のツイストがうなる。
 彼は私の口に両手をつっこんで、親知らずの根っこにとりかかる。
 医師の体重が顎にのしかかるので拷問器具の枕に私の頭が押しつけられる。
 医師が腕を引き抜くたびに、魚の骨、万国旗、目印をつけて封筒に入れておいたコイン、言い忘れた言葉、言い辛かった本音などが口から飛び出してくる。助手のバキュームがそれらを吸い取る。吸い切れなかった鳩が逃げていく。
 親知らずの根っこを抜く際に、唇の端を「てこ」の支点にして鉗子をあおるため、口角の部分が擦り切れていく。同意書にそのことは書かれている。
 アルキメデスが梃子の原理を証明したのは、私の口の端を切るためだったはずがない。
 頭を押される圧力に顔をしかめているのを麻酔切れと思ったのか、助手の女の子が、痛いですかと聞いてきた。
 右手の親指と人差し指でオッケーサインを出して、健気にもカラ元気を見せる。顎は外れそうだ。
 鉗子でしっかり掴まれた親知らずを歯科医師があおり、その歯科医師を助手の女の子が、助手の女の子を、まご娘、いぬ、ねこ、ねずみが引っ張る。
 「coz I'm a dentist」はフィナーレを迎えた。
 歯は、抜かれた。
 膿盆に大きなものが落ちた音がした。
 歯ぐきに開いた大穴を縫い合わせる。でないと、そこから身体が裏返ってしまう。
 糸のついた針を持ち出した歯科医は、本当に両手を口の中に入れて、不器用そうに縫い、不器用そうに糸を結んだ。この医者、シャツのボタンをつけ直すこともできまい。
 精も根も尽き果てて拷問器具の上に寝ていると、医者が息荒く話しかけてきた。





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最終更新日  2014.09.03 15:48:53
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