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せんだって日記

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2014.01.10
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せんだって、長らく使ってたポーチが壊れた。
ケータイとタバコを入れて腰につけとくのにサイコーのやつだったのだけど、同じのがもう無いっぽい。

今度はこれ欲しい。かーわーいーいー。
これに、MOLLEシステムの小バッグとかぶらさげるんだー。


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最終更新日  2014.01.10 17:46:33
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2014.01.06
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みなさん。『厨二病ポーカー』をやりましょう。

『厨二病ポーカー』とはなにか。カードゲームです。とてもおもしろい。

cnb001

【基本ルール】
人数:2~15人くらいまで。
漢字が一文字ずつ書かれたカードがあります。
漢字を組み合わせて「厨二病」っぽい言葉を作ります。技の名前、タイトルっぽいの、病気の名前、巨大な組織の名前、なんでもいいです。「っぽさ」が大事です。
勝ち負けは参加者の合議制で決まります。

【ゲームの流れ】
●ポーカーと同じルールで各人が5枚ずつ持ちます。
●いらないカードを場に捨てて、山から同じ枚数とります。
●厨二ワードができたらコールします。そこから一周して、最後は順番にカード開示になります。
●このラスト一周の間は、山から手札を引くだけでなく、場の捨て札でいちばん新しいカードを交換することもできます(麻雀で言う「ポン」のようなもの)。制限なしで、交換が終わるまで続けます。
●コールした人から順番に五文字の厨二ワードをプレゼンし、最もおもしろかったもの、上手だったものを合議で決めて、終了です。



ちょっと流れを見てみましょう。
手札を捨て、山から取るというポーカールールで進みます。
最初の「完成しましたコール」がかかったら、ラスト一周は最新の捨て札を取ることができます。

cnb002

この場合は「恋」とか「最」とか。
交換したい人がなくなるまで続き、交換がおさまったら次の順番の人が通常通り手札を捨てます。

ラスト一周が終わったら、最初のコールの人からプレゼンです。
手札をさらすときに、どのように前置きするか、どう見せるかが大事です。実はウケることが目的なんです。

たとえば、まずはこう出るとします。

cnb003

ライトノベルの学園伝奇ものでライバルが拳を光らせて放ちそうな技名です。強引な英語読みなんかもアリです。

次の人が悔しそうにこう出します。

cnb004

惜しい、惜しいです。あと一枚足りなかった。
つまり、ラスト一周の「ポン」は手札をなんとか揃えるための救済策であり戦いの場なのです。

そして最後の人が「中2の発想ではあるんだけど……」と前置きし、こうです。

cnb005

厨二病じゃねえじゃん!
だって手札が揃わなかったんだもん!
でもおもしろかったら勝ちです。
ルールで負けてもおもしろければ勝ちです。

ならば、ということでエクストラルールで遊んでみようとなるのは必然です。
「ロマンポルノの題名縛り」「外食チェーンのキャッチコピー縛り」など、いろんな追加ルールを思いついては時間を忘れて遊ぶことになります。

ゲームの骨格がしっかりしてるのでどう遊んでもおもしろくなります。
そして、この骨格を作ったのは僕ではありません。

【このゲームの発祥】
『厨二病ポーカー』は『バイオレンス・ノベル・ポーカー(以下VNP)』が元になっています。
『VNP』は、1985年か1986年に仙台SFクラブの成澤雅紀さんが考案し、同クラブでルールが整備されました。
80年代半ばにバイオレンス・ノベルと呼ばれた小説ジャンルがありました。『VNP』はそれっぽいかっこいいタイトルを作るゲームです。完成度が高いゲーム性によってこれまでに何回か復刻されるほどの伝説的なゲームです。

大阪大学・菊池誠先生の解説
http://www.asahi-net.or.jp/~dm6k-kkc/DCFinal/VNovelPoker.html

当時、松島SF大会で遊んだ様子をSF作家の山本弘さんが雑誌に書いていました。その記事を読んだ某高校のシミュレーション同好会(TRPGを遊ぶための同好会)有志が真似ました。白紙の名刺カードと筆ペンで作れるので複数のセットができあがりました。
バイオレンスノベルのタイトルを目指してるのに「回転大熊猫」とか「怪力女子校」とか、どうしてもおもしろ方面に流れてしまいます。
というより、ルールの逸脱がおもしろくなってしまうんですね。

高校を卒業して20数年経ちました。
ライターの田下広夢 @TaoriHiromu さんが主催する「代々木ゲームルーム」に参加したことがきっかけで高校のころハマってた『VNP』を思い出したものの、しかし僕がやっていたのはもうバイオレンスノベルポーカーではない。
とりあえずインクジェット名刺カードに漢字を書いて持ってったら大好評。『厨二病ポーカー』という名をいただくことになりました。

いや、たぶんね、1986年あたりに同じことしてた奴らって日本のどっかにまだまだいると思うんだよね。同じ基本ルールからいろんな変化をした、変なセットがいっぱいあると思うんだよね。そういうの遊んでみたいじゃないですか。ゲームの平行進化っていうか意図せぬ変異っていうかさ。
過去に遊んでた人らがもっと出てくるといいなと思ってるんよ。冬眠明けの虫みたいにゾロゾロとさ。眠そうにさ。






最終更新日  2014.01.07 03:25:13
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2012.12.05
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これは気になる。しかしたけえ。


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最終更新日  2012.12.06 03:30:40
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最終更新日  2012.12.06 03:20:12
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2011.04.06
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twitterなどでけっこう見られたんだけど。
原発の爆発以降、知的で冷静だと思っていた人たちが被曝に対しておどろくほど強い恐怖を示し、浮き足立っていたり、不安やデマを拡散したりしていた。
その恐怖心のあらわれに驚いた。

僕はそこまで放射線が怖くないからだ。

いやもちろん怖いけども。
なんというか、慌てて逃げ出したり正気を失ってしまったり冷静さを欠いてしまったりというほどではないのである。マスクしないと外出できないとか、水道水を飲めないとかにはならなかった。
信頼している理系の人たちの意見をtwitterで読んで、東京はまだそこまでの状況ではないと思っていたのだ。

しかし妻は違った。
心なしかそわそわして、ネットや本でいろいろ勉強しはじめた。

僕の変に落ち着いた態度と、即席の勉強によって、妻はほどなく落ち着いた。
つまり、視野を狭めて恐怖するだけの態度をやめた。妻が言うには「影響はわずかだろうけど、逃げ出すよりも検体として生きるほうが価値がある」ということだ。

僕と妻の、放射線被曝への反応の違いはなんだろうということになって、原爆教育の違いだってことになった。

原発がアレしたとき、妻は僕に「ピカドンが起きることは無いんでしょう」と確認したがった。
なるほど。
僕は子供の頃、あまり強烈に原爆教育を受けなかった。妻は『ガラスのうさぎ』や『黒い雨』などの教材によって「原爆は恐ろしい。核は怖い」という恐怖を教えられていた。

恐怖だけを教えられていた。

どういうふうに怖いのか。なぜ怖いのか。どこまでなら危険ではないのか。
そういうホントに大事な部分は教えられず、恐怖だけを教えられたっぽい。

原爆教育は子供の心に恐怖だけを植えつけるものだったのだろうか。

恐怖は視野を狭くし判断力を鈍らせる。もうそういうものである。

普段は知的で冷静な人が、あっというまに視野を狭くし慌てふためいてしまった。そこには逆らいがたい恐怖があったのだろうか。

恐怖は無知に根ざす。

原爆教育は、放射線の恐ろしさだけを植えつけ、対処法は教えないものだったのだろう。被曝は程度問題だから子供には難しいってのもあるだろうし。

放射線を「対処の仕方をしらない見えない恐怖」としてしか教えられていなければそうなっちゃうよね。無知のままでは怖いだけだ。

妻は数日勉強してどの程度危険なのかを知った。その結果、落ち着いて対処する用意ができた。

最近は慣れてきたとはいえ、少し前はパニック寸前だった。年寄りが無意味に水を買い占めたりな。
いや、無知ゆえに食べられる食料が廃棄されたり農業や漁業などの経済活動が縮小したりしているのはいまも同じだ。
原発が落ち着いたとしても食料は貴重になっていくはずなのに、無知からくるパニックで貴重な魚や野菜が廃棄されているのが現状だ。

冷静に対処しないといけない場合なんだから、恐怖ばかりしているヒマはない。

なにが言いたいのかって、放射線被曝に対する人々の反応の違いで。

いつからマジで逃げないといけないのか判断できる人は放射線の怖さも知ってて、プチパニックになってる人は放射線をとにかく絶対恐ろしいものというあいまいな感じに考えていて。
その差には、原爆教育、ピカドンへの根深い恐怖心があるのではないかと。
原爆教育って、どんなんでした?
「怖いから、もしもの時はこうしなさい」っていう処方箋とセットでしたか?
そうじゃないなら、それはよくないと思います。


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最終更新日  2011.04.07 02:14:52
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2011.03.13
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生きてます。
家族も無事です。

みんながんばれ。
ケンカすんな。笑え。大丈夫。

冗談を言い合え。
身体に触れ。
眉を上げろ。


じゃ、そんな感じで!






最終更新日  2011.03.13 22:35:17
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2011.02.10
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外国から異常な量のアクセスがある。
クローラーでもなさそうだけど、これはなにごとかしら。






最終更新日  2011.02.11 01:58:30
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2011.01.11
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去年の話だけど、敬愛する仲里依紗が出るってことで映画『時をかける少女』(http://tokikake.jp/indexp.html)を観に行った。


僕は進研ゼミのCMで「数学終わったらスイカ」っつってた時からの仲里依紗フェイバリットラーである。アニメと実写で『時かけ』を制覇した里依紗の「時かけ女優」の姿を見たいと思うのも無理はないだろう。


そして僕は『時をかける少女』というテーマは何度でも使われるべきだと主張している。アニメでも映画でもドラマでも、新人監督の腕試し的な場に、あるいは登竜門として、『時かけ』というお題がジャカジャカ使いまわされればいいと思っている。少女がタイムリープして通過儀礼的な冒険をするお話であればそれは【ジャンル:時かけ】だ。傑作から名を上げる者もいていいし、そこには失敗もあっていい。そう。失敗があっても【ジャンル:時かけ】は傷つかない。


ネタバレするので、以下注意。





























違和感というのか、これが21世紀の映画だったのだろうかという観客サイドのタイムリープ感に目眩がして面白かったです。


これまでの『時かけ』はタイムリープの原因は未来人が持ってきていたけれど、本作はお母さんがタイムリープ薬を“発明”するというSF的にひじょうに意欲的な出だし。
タイムリープのCGの奇妙なダサさはルネッサンス期の前衛のようでした。


登場人物の動機付けがよくわからず興味が右往左往した記憶があります。とくに人探ししないといけないはずの里依紗が自主制作映画の手伝いに夢中になっているところなど、もどかしくてしかたがありませんでした。


そう。


新人監督のデビュー作で「自主制作映画をつくる若者」を描くのは社則で禁止にしていただきたいです。
ばかじゃなかろうか。
高校生が書いた高校演劇で演劇部の話を描いたものは知ってるけれど、これは全国ロードショーされるプロの作品ではないですか。
マンガや小説で、新人のデビュー作がそんなふうな痛々しい自伝的なものなどありますか。映画だけですよ。
映画というメディアはかようなまでに古臭いノスタルジアや安いナルシシズムを許してしまうものなのでしょうか。
監督てめえ何様だオメエのダセェ青春なんか知ったことかクソくらえと思いながら仲里依紗の姿を観ることになろうとは、悲しいです。
がんばっている俳優たちがかわいそうじゃないですか。


しかし仲里依紗は走っていました。
あのひたむきな表情で。あの良い姿勢で。
本当にいいんだよな。
仲里依紗主演『時をかける少女』は春休みのアイドル映画です。
彼女の走る姿、それが映画です。
彼女が泣く、それが映画です。
ここまでくればもう仲里依紗は倉岡銀四郎なみのスターです。


仲里依紗の姿に充分な動機と破綻の無いストーリーを与えたらそれだけでよかったのに、制作サイドの歪んだ自己愛と映画村の田吾作センスをてんこ盛りにしたせいで役者がみんなかわいそうな感じになった映画、そんな感想をもちました。


新人監督デビュー作で自主制作映画マニアの若者がメインとか、絶対のタブーでしょう。映画屋の正気を疑う事実です。21世紀に作られた映画なんです。


しかし【ジャンル:時かけ】は失敗を許すもの。里依紗の実写がこうなってしまったのは本当に残念ですが、僕は次の「時かけ」に期待します。






最終更新日  2011.01.12 02:17:29
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2011.01.07
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ネットの方言で「リア充」「非リア」ってありますよね。「リアルライフが充実している」「充実していない」っての。


つまり、ネットで他人とじゃれ合うことはできるけど、生身の部分で友人や恋人がいるのか、社交的であるかというとこを、自虐ネタ気味に言っているわけですね。


クリスマスの時期に顕著になるんだけど「非リア」の人たちが「リア充爆発しろ」と罵るネタがある。恋人同士でクリスマスイブを過ごす「リア充」に、ネタっぽいけど半分は本気の呪いの言葉を吐いているわけです。


あの「リア充爆発しろ」には確実に羨望と嫉妬がある。


クリスマスには恋人と過ごさなくてはならない、というカッペ臭い価値観は、バブル期に「頭のいい大人」が「若者」から金を引っ張るためにつくったものだ。非リアの人たちの好きな「マスゴミと電痛」の捏造ですよ。


その捏造されたバブリーな価値観を真に受けて、非リアはクリスマスに恋人がいないのはカッコ悪いとか寂しいとか嘆いている。しかしリア充(たとえばヤンキーなど)は別にそこまでクリスマスに対する情熱はなさそうに見える。少なくとも「爆発しろ」とか「死ね」とか言うまでの熱量はない。恋人がいなけりゃテレビ観てお菓子食べて笑っているだろう。普通の日だ。


僕には、ふだん非リアが「電痛マスゴミが捏造」したと軽んじている価値観に、クリスマスだけドンギマリしている現象が面白くみえる。マジになるなよ。それほど羨望と嫉妬の感情ってのは強いのだろうか。


ところでパーティというのは、人数が多いほうが面白い。
たくさんの種類のおいしいものを食べられるでしょ?


七面鳥の丸焼きが出る仲間内のパーティに出たことがあるけど、でっかいのよアレ。アメリカ人でもない限りひと家族では食べきれないの。でもクリスマス行列ができるフライドチキンよりもおいしいの。ブロイラーとは肉が違う。それを少額の会費でですね、ケーキと合わせて満腹になるまで食べられるなんてすげえいいじゃない。それに、ターキー焼きを手伝って女の子と話をするのも楽しいよ。



最近は妻の実家の婿気取りな俺様だけど、クリスマスは家族でホームパーティをした。別に洒落のめしたヤツではなく、唐揚とケーキ、シャンメリー程度のものだ。礼儀としてプレゼントも持ってった。
基本はネコを撫でながら酔っ払ってただけなんだけど、これがなかなか愉快であった。
義母がプレゼントの用意をしていたのだ。
一年の間に貯まったタオルやハンカチなどの粗品のたぐい、あるいは商品券、お中元お歳暮の残り。つまり余分な品をアミダくじで分配するのだ。これが意外に盛り上がった。「どうせならアレが欲しい」ってのがあるわけですよ。


今回は義母からのプレゼントになったわけだけど、交換システムにしたらけっこういいぞ。
自分チでは使わないけど誰かがうまく利用するであろう品物を、パーティの機会にガラガラポンしてしまうのですな。


貧乏くさいだろうか。ずいぶん豊かな趣向だと思うけどな。捨てたり死蔵したりするよりも、年一回のペースで吐き出したほうがいいって。なにより家が片付く。いいことばかりの企画なんすよ。win-winの関係。


おいしいものをたくさん食べて安上がり。
ささやかなプレゼントでけっこう楽しい。


友達は僕だって少ない。社交的とは言えないからな。でも、なんつうかこう、誰でも集まっていいパーティみたいなのってあるじゃない。ていうかやればいいじゃない。


バブル時代に捏造された価値観にモロにはまって呪いの言葉を吐くよりもいい時間を過ごせるだろう。


対人スキルがないからパーティになんか行けないとか言うなよ。
スキルってなんだ。慣れだろ。ブラインドタッチやFPSのコントロールと変わらん。
ゲームにちょっと触って「クソゲーだ」と放り出すのが馬鹿馬鹿しいように、面白くなるまでパーティにいれば、対人スキルもついてくるだろうと思われます。


つうかこれからの日本に必要なもんだと思うんだよね。パーティ文化。






最終更新日  2011.01.08 02:27:30
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2011.01.06
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じつは昨年の夏ごろですか。『借りぐらしのアリエッティ』を観たのである。


お父さん役の三浦友和、よかったじゃない。演技の良し悪しがわからない萌え声優ジャンキーは、もっとおとなしくしてて欲しいね。


本編は、言動に動機がないとか破綻した脚本とか音響面の不快さとか小人に対する興味の薄さとか、いろいろ思い当たることはあるにはあるのだが、とにかくどうしてこんなにつまらないのだろうかと思っていた。そんな矢先にテレビで『となりのトトロ』を流すというので観てみた。じつは腰を据えてトトロを観るのは初めてだった。


『となりのトトロ』は気持ちよかった。すんげえ気持ちよかった。
まっくろくろすけの動き、あのふわっと消え去るとこの浮遊感。
サツキが走るじゃない? 機嫌のいい走り、必死な走り。いろいろあるけど走っている姿が、つまり動画が気持ちよかった。さすが宮崎駿、あれは『未来少年コナン』の突っ走りだ。気持ちいいわけだ。
びっくりした。こりゃすばらしいアニメだ。


僕はサツキの走りがとにかく良かったんだけど、つまり『トトロ』は全編通して動きが気持ちいいのである。見ているだけで面白いのだ。子供が夢中になる理由がやっとわかった。ここまで気持いいとストーリーとかいらねえのな。わからなくても見てておもろい映画なのよ。アニメーションという言葉の意味を考えると、トトロの魅力がどんだけ本質的で強力なのかわかる。


そして同じ時期にケーブルテレビでアニメ『名探偵ホームズ』を観た。
宮崎駿が演出をする回があって、べらぼうに出来がいい。目を離せない。
ミーハーと言われようがなんだろうが、若い頃の駿が絵をブリブリ動かすときの快感は最高だ。
アニメは、絵が動く快感だけで引っ張っていける。


『アリエッティ』で気持ちよかったのは、ド最初の、庭でアリエッティが発見されるとこの、アリエッティが草を降りて走るシーンだけだった。マジでここだけ。


『アリエッティ』がひどくつまらないのは、アニメ映画として動きが死んでるからかもしれない。
いや、カメラワークも意味不明だし脚本もオカシイんだけどね。


そのあとで、テレビで『トイ・ストーリー2』を観た。
あのCGのテイストを食わず嫌いしてたので、これまた初めて観るものだった。
エンターテインメントとしての完成度、とくに空港での「大列車強盗シークエンス」の素晴らしさには感激した。
人形というサイズを生かした状況、西部劇というものに関する伏線の張り方、なにより全編の覆う映画文化への愛情とリスペクト。
なんとも傑作だ。
『トイ・ストーリー』シリーズの背後には、ハリウッドが積み上げてきた大きな文化があるのだ。


ひるがえってスタジオジブリはどうだ。日本のアニメはどうだ。
ということも考えてしまったのです。


ごくまれに出てくる天才に頼っているだけで、文化を育む土壌になっていないじゃないですか。
志のある人がそれなりにがんばればいい仕事ができる環境、それが文化を育む土壌ってもんですよね。


ハリウッドはあいかわらずあの通りだけど、それでも文化の仕組みとしてしっかりしている。
聞くところによるとシナリオの体裁には共通規格があるんだって。すげえよな。
目的が金儲けでもなんらかの「表現」でも、それを実現できるシステムと環境があるわけだな、きっと。
だから、『トイ・ストーリー』みたいな安パイシリーズを「利用して」傑作を表現できるわけだ。


『ゲド』や『アリエッティ』の話をしてします。


新人監督をいきなり抜擢、ったって、ねえ。


あまりに『2』が良かったので映画館に『トイ・ストーリー3』を観に行った。
初めて知ったけど本編の上映前にショートフィルムがあるのね。『Night&Day』だっけ? 面白かったです。五分程度の完成品をつくって観客の前に出す。でも失敗も許される。あちらの新人監督にはそういう機会があるのかな。


鈴木体制のジブリは新人監督にいきなり本編をまるごと撮らせてしまうわけだけど、これはキツイよ。
たとえば『名探偵ホームズ』みたいな番組があったらいいなと思ったのだ。
一回ぶんが正味20分の連続もので何人かが持ち回りで演出を担当していく場所。
駿だってそういう場所で経験を積んだわけでさ。
初監督の場がいきなり全国ロードショーされる大バジェットの二時間映画しかもジブリブランドなんて、かわいそうだし育ちもしないよ。


でも、日本のアニメ界には、30分の子供向け番組で若い才能を磨いていける場がないのですな。


これは、客が、悪い。






最終更新日  2011.01.07 01:06:46
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