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戦国ジジイ・りりのブログ

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2012年09月23日
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カテゴリ:旅日記(中国)
四脚門の内部は割とシンプル。
けど、結構風格はある。


      三原・大善寺31



蟇股は、外側はかすれかかってるけど、なにか彫物があったみたい。


      三原・大善寺30



けど、内側には彫物の後は見えない。


      三原・大善寺29



蟇股(かえるまた)って、今までさんざん写真を載せてきた割には
説明を書いた記憶がないけど、今さらながら簡単に説明しますと、
上の荷重を受ける部材。

上の写真のように、全部板になってるものが「板蟇股」(いたかえるまた)。
板をくり抜いて透けてるものが「本蟇股」(ほんかえるまた)。

蟇股の各部には、それぞれ名前がある。


      三原・大善寺30-3


で、股の中の彫刻(○で囲った部分)のことは、
大工用語で「はらわた」というそうな泣き笑い

他の部材と同じく、蟇股も時代が下るごとに派手になっていって、
本来の用途よりは装飾的な意味合いが強くなっていく。

後期になると、「はらわた」が股からはみ出してくるものも
現れる(笑)。

一般的に、板蟇股は比較的古い時代の建築に多いけど、
そうでない場合もあるので、蟇股だけで時代判定をするのは難しい。



さてと、境内には色々あるけど、まずは左側へ。

入ってすぐのところには、美童の像が。


       三原・大善寺5・旅立ちの法然さま


『旅立ちの法然さま』

法然様は、三原出身の方ではありません。
ならなんでここにおられるかというと、前回の御本尊様の解説を読んで
宗派がわかった方も多いでしょうが、ここは浄土宗のお寺なんです。

時々、いろんな上人様の像を置いてる寺があるけど、
私が見たのは大抵この法然様のような美童か、
若くて精悍なイケメン・・・

晩年の像はまだ見たことないなあ~。
いや、「見たいのか?」って言われるとちょっとビミョーだけど(笑)。


「旅立ちの」とは言っても、こんな幼いうちから
各地を行脚して布教に努めたって訳じゃないので、
この像は、さしあたってこれから叡山へ勉学に向かう時ってカンジかな。
まだ髪の毛あるし。

「法然さま」というより、幼名の「勢至丸さま」と言った方が
よさそうな感じだけど、それじゃ「誰、これ?」って
ほとんどの人が思うだろうしな雫



法然様の奥には、瓦が沢山並ぶ。


       三原・大善寺9



 【大善寺鬼瓦

  当鬼瓦は、文政10年再建の際、甲山において、製作されたもので、
  平成14年の総葺き替えまで約200年間、寺を護り続けた鬼瓦であります。】
  (大善寺立札より。漢数字は戦国ジジイが変換)

へ~え、200年!!
なんか、まだまだいけそうな外観だけど・・・

で、その200年ものの鬼さんとかシャチにまぎれて、
こんな瓦も置いてある。


       三原・大善寺8-2


       三原・大善寺10-2


三つ葉のクローバー・・・クラブじゃありませんよ(笑)。

なんでこの紋がここにあるのかは、
もうちょっと後にしましょうかね。 


法然様と向き合うのが、まだ新しい鐘楼。

 
      三原・大善寺12


本瓦葺の軒丸瓦は・・・


       三原・大善寺13


余談だけど、徳川氏って葵紋を使う前は銀杏紋を使ってたって
説があるんだってね。

先祖が加茂神社(神紋は葵)の氏子だったことがあったので、
それで使い始めたとかなんとか。

一方では、先祖の第3代・松平信光の墓に剣銀杏の紋が付けられていること、
日光東照宮にも銀杏紋が使われていることなどから、
銀杏紋を使ってたのかも、って推測されてるとつい最近知った。

へ~、東照宮かあ。
今度気をつけて見てみよう。

何しろ、日光山内へは年に最低1回は行くものの、
東照宮にはあまり行かないもので(笑)。
家光の大猷院へは、必ず行くんだけどね。
大猷院、好きなんだもん黄ハート


鐘楼の脇には、小さなお堂が。


       三原・大善寺14



『三原新四国 第六十九番』?

あれ・・・どっかにも、こんなのあったよな・・・

帰ってから調べてみたら、「広島新四国」ってのは探せた。
88箇所の霊場のうち、三原にもひとつあるみたいなんだけど、
どうもそれとは違うみたい。

69まであるってことは、三原にも独自に88箇所あるのかな?


本堂へ行く前に、手水場があったのでお清めしようかな~と
近寄った。
そしたら、銘が彫ってある。


       三原・大善寺15


 【楢崎氏正重 寄附之  寶永六巳丑仲春日】


実は、大善寺にはこういうものもある。

 【広島県史跡 楢崎正員(まさかず)の墓および関係遺跡

  正員は、元和6年(1620)三原西町のそろばん製造業(のち薬種業)の
  楢崎家に生まれ、家業に専念したのち、延宝元年(1673)54歳のとき
  京都に赴き、山崎闇斎(あんさい)の門に学び、三原城主浅野忠義の知遇をえた。

  彼は、晩年の10年間を須波に隠居したが、この地の東風が強いのをみかね、
  私財をもって波止を築き、海運の便をはかり、元禄9年(1696)
  77歳で没した。
  関係遺跡としては他に、須波波止(須波町)と須波屋敷跡がある。】
  (現地解説板より。漢数字は戦国ジジイが変換)


なので、まず間違いなく正員さんの子孫の方の寄進なんでしょうね。

姓が楢崎で薬種業って、龍馬の妻・おりょうと何ぞ関わりが・・・
とか一瞬思ったけど、あれは武家の出だしな。


で、こちらが本堂。


       三原・大善寺18


       三原・大善寺19

問田の大方様の菩提所だった割には、
ここで小早川紋を見た覚えがない。
なんでだろ・・・

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最終更新日  2012年09月23日 10時49分56秒
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