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戦国ジジイ・りりのブログ

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2012年09月23日
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カテゴリ:旅日記(中国)
本堂の向かいに建つのは、釈迦堂。


      三原・大善寺17


 【奉修宗祖法然上人八百年大遠忌上酬慈恩】

堂の前にある木の塔みたいのに、こう書いてある。

800年忌なら、2012年のことだと思うけど、
堂がそんなに新しい訳ないよな・・・
この木の塔を今年建てました~ってことなのかな?


さて・・・ここへ来たのは、もちろん問田の大方様ゆかりだからなんだけど、
調べてるうち、別のゆかりもあるお寺だと知ったので、
もうひとつ目的が加わった。

それを探しに、これより墓地へ向かいまする。


たぶん、解説板とか誰の墓だとかを示すものがあるかと思うので、
それを探しながらしばらくウロウロ・・・
あ、見っけ!!


      三原・大善寺22・月渓院の墓
 

『四代城主忠義の母也』

墓の前には、立札の形をしたものが立ってはいたんだけど、
もう完全にサビちゃってて、文字なんかは見えない。
ので、いつもお世話になっている三原観光協会様のサイト
「海・山・空 夢ひらくまち」より引用しますと、

 【江戸時代、三原には過ぎたるものが三つあると他藩から羨ましがられました。
  それは三万石にはふさわしからぬ大きな城、葵の紋所大段幕、
  そしてすぎたる智者鈴木方衛という家来がいたことでした。
  その後の三つが、この寺に関係あるのです。

  境内墓地の西南にひときわ大きい宝篋印塔が目にとまります。
  これは三原城主4代浅野忠義の母「月渓院殿心誉栄讃珠光大法尼」であります。
  又、鈴木方衛は江戸幕府より日光東照宮の修復が各藩に命ぜられたとき、
  誰にも出来なかった難工事を10日間で仕上げ、将軍を感嘆させたという智者で、
  この境内へ特別に葬られています。(後略)】


元和元年(1615)の一国一城令で、
本来であれば三原城も廃城の憂き目にあうところだったが、
幸運にもそれを逃れた三原城には、広島藩筆頭家老・浅野忠長が入った。

忠長の子が、忠真。
この忠真さんに江戸城で一目惚れしたというのが、
徳川家光のご落胤とされる月姫(のちの月渓院)。

福島正則の後に入った浅野家広島藩初代藩主の浅野長晟(浅野長政の次男)は
徳川家康の三女を妻としたので、宗家には将軍家との血縁はある。

けど、忠真さんは一門の出ではあっても浅野家の家老職であり、
すでに妻がいた。ところが、

 【当然周りは大反対ではあったが、月姫本人の意思が猛烈に固く、
  幕府も仕方なく下賜という形で月姫を忠真に授けた。
  これには三原浅野家はもちろんのこと、主家であり、本藩の広島藩も
  大変扱いに苦慮した記録がある一方、このような幕府からの特別な配慮は
  他藩には大変羨ましがられ、「五千三万石」と呼ばれ財政的にも潤い、
  三原の城下は大発展したという。】
  (ウィキペディアより)


猛烈な意思で(笑)念願叶って忠真の側室となった月姫は、
子を生み、これが次の城主となる。

そして大善寺は、姫の祈願所として幕府より5000石の御化粧料を下賜されて、
将軍家の菩提寺・増上寺から名を賜り、増上山大善寺となり、
葵の御紋の使用も許された、という歴史を持つ。

という事で、先に見てきた葵の瓦は、この月姫様に
由来するものなのでした。


なんで認知しなかったのか、
認知しなかった子に対して下賜の形を取り、化粧料まで与えるって
どーゆーこと!?って疑問が湧くんだけど、
おかげで問田の大方様の影が薄れてしまったんだろーな・・・



さて、せっかく墓地に入ったのだから、
楢崎正員さんのお墓にも寄っていこうかな。

墓地は山肌に沿うように建てられているので、
あちこち歩き回って上の段まで登った時、
立派なお堂が目に入った。


        三原・大善寺23



あ・・・あれが、大善寺の奥にある、寿徳寺だな。
随分立派だけど、唐破風のところ、なんか変わってる・・・
なんだろ、アレ。

で、結局楢崎さんのお墓はわからなかった涙ぽろり

仕方なく墓地を出て、ふたたび境内へ。
本堂の向かって右側にある庫裏↓。


       三原・大善寺24


ここも、破風、でけぇ~・・・
妻にある蟇股はただの雲と流水のデザインかもしれないけど、
なんだか私には魚が2匹向かい合ってちゅ~してるように見えた(笑)。


       三原・大善寺25



庫裏の奥には簡易便所みたいのがあったので、
本当はお墓参りに来た人とかのためのものだとは思うけど、
外にトイレが置いてあるお寺ってあまりないし、
ちょうど行きたかった頃なので(笑)、ありがたく使わせていただいた。

私みたいな歩き方をする人間にとっては、
トイレが結構重要な問題なんだよね~。マジで。

スッキリしたところで、ふたたび境内散策。
庫裏の向かいには、宝形造のお堂がある。


       三原・大善寺26



何のお堂だかはわからないけど、ここの屋根にさ・・・


       三原・大善寺27-2



右側の矢印のは、鬼瓦が一部欠損したものだとは思うんだけど、
なんか鬼っていうよりサカナ顔に見えちゃって(笑)。

あと、左側のね、宝珠の類だとは思うんだけど、
ぼんやりした2段重ねのせいか、ここにふさわしくないものを
つい連想してしまって・・・泣き笑い


て楽しんだところで、大善寺はおしまい。
おトイレ、ありがとうございましたぁ~音符


入ってきたのと同じ門から出て、道なりに東へ向かう。
ここからの道は、楽しみにしてたんだ~。

まずは、大善寺の南側の石垣&土塀。


       三原・大善寺33


この先を、大きな道に行き当たったところには、
これがある(場所はこちら)。


       三原・一畑薬師


       三原・一畑薬師2



・・・思ってたより、小さなお堂だな。
戸がちょっと開いていたので、中を覗くと、


       三原・一畑薬師4



おお、地味だけど、大事に祀られてるってカンジ。

一畑薬師ってアレだよね、眼の薬師様だよね。
目が悪い私は、ここでもちろんお参り。

お堂の周りも覗いてみたら、大善寺の石垣ギリギリに建てられてるお堂だった。
すごいわ・・・(笑)。


       三原・一畑薬師5


つか、こんなとこまで覗くのなんて、私ぐらいだろーな・・・雫


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最終更新日  2012年09月23日 15時45分02秒
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