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戦国ジジイ・りりのブログ

2012年10月04日
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カテゴリ:旅日記(中国)
これは最上稲荷、かな?
建物は撮ってないけど、額が立派だなあ~と思って(笑)。


       三原・妙正寺11


それから、これ。


       三原・妙正寺12

『日蓮大菩薩 百五十遠忌建立』って彫ってある。

笠の部分が派手だなあ~。
パピヨンと呼びたくなる・・・(笑)。

150年遠忌なら、単純計算で1432年の建立ってことか。
そんなに古いようには見えないけど・・・

モノにもよるでしょうけど、やっぱり石造りは持ちがいいなあ~
・・・って、木造建築と比べるなって?(笑)

「日蓮大菩薩」の称号は、死後に追贈されたものらしいけど、
日蓮さん自身も「我は菩薩である」って信じてたみたいね。

その菩薩とは、「上行(じょうぎょう)菩薩」。


法華経の中に、地面からおもむろに沢山の菩薩がわらわらと
湧いて来る場面がある。
その菩薩様達のリーダーが4人おり、さらにその4人の中の
トップが上行菩薩。

日本での普通の仏教は「戦国ジジイ宗」とか「白川りり宗」って
宗祖の個人名は冠せないものだけど、日蓮宗が日蓮さんの名前を戴いているのは、
(自称)日蓮=菩薩とするところによる。

つまりは、日蓮を上行菩薩と認め、日蓮の法華経の解釈を
正しいものと信じるから、「日蓮宗」。だそうな。
アクが強いと感じるのも道理だよね~。

でも、私は嫌いじゃないけどね、日蓮さん。

真面目な信徒の方は怒るかもしれないけど、
読んでてゲラゲラ笑える場面が色々あって・・・
いや、ホントに怒られそうだからやめておこう雫


  
こちらが本堂。


      三原・妙正寺13


これも裳階(もこし)だな。
上部の部分は随分綺麗だけど、最近修復されたのかな。

前回掲載した本堂の解説とあわせて見てみると、
享保の移築で規模が拡大されたってあるし、
今は上部だけ塗籠になってるけど、
恐らく昔は塗籠じゃなかったよな~って気がするので、
上層部分を付け足したってことなのかな。


      三原・妙正寺14
 

下の裳階部分の正面が盛り上がってるのは、唐破風(からはふ)。
唐破風にも2種類あるんだけど、妙正寺のように
屋根の本体の軒先の部分をむにょ~んって持ち上げてるのは、
「軒唐破風」(のきからはふ)。

屋根本体とは別立てとしてるのが、「向唐破風」(むかいからはふ)。

唐破風に付ける懸魚(けぎょ)は一律「兎毛通」(うのけどおし)って
呼ぶことは、前に書いたよね。

んで、唐破風の中の蟇股は・・・


      三原・妙正寺15



杵、だな。
外側に円がある訳じゃないから、これは「丸に一つ杵」とは
言わないのかな・・・
紋ってホントに面白いよな~。


入り口部分も撮ってたから、ついでにもうちょっと解説しちゃおう。
扁額の上の部分、短い柱のことを「支輪」(しりん)という。


     三原・妙正寺16-2



一口で言って、高さの異なる2本の平行した柱に
斜めにかかる柱材のこと。

まあ、段違い平行棒の高い棒と低い棒に、
湾曲した柱がかかっているようなもんだと思ってください(笑)。

高さが違う部分にかかるので、よくこういう軒下とか、
天井と壁の接続部分なんかに使われる。

建物の外にあると、建築に興味ない人は見もしないかもしれないけど、
屋内だったら何気に目にしているハズ。

二条城とか日光東照宮とか、格式のある広間を見学したことのある方は、
「折上格天井(おりあげごうてんじょう)」とか「二重折上格天井」って
言葉を聞いた事があるんじゃないかと思うけど、
天井が高くなってる部分には、この支輪が使われてる。

今後、行く機会があったら是非注意して見てみてね。
いろんな部材とか決まりごとがあって、初めてああいう
素晴らしい建築物が出来上がるのだから。

知らないってだけで見過ごしてしまうなんて、
あまりにももったいないグッド


垂木は屋根を支える部材。
御覧の通りスカスカなので、「疎垂木」(まだらたるき)という。
部分的に板が張ってあるのは、何なんだろう・・・



本堂と庫裏の間にあるのが、玄関。


      三原・妙正寺17


なんだか、指のない足跡みたい(笑)。
正面からはこんな↓。
本瓦葺で、こちらも素敵音符


      三原・妙正寺19



して、こちら↓が庫裏。
立派なんだけど、木・・・木がぁ・・・


      三原・妙正寺28



この向かいには、鐘楼がある。


      三原・妙正寺27



ま~た龍宮造だよ・・・
なんなんだ、三原・・・
この中にかかる鐘はこんなの。


      三原・妙正寺24
 

 【三原市重要文化財 銅鐘 一口

  かつては、坂の西側にある鐘撞堂につるされて、「時の鐘」として親しまれた
  梵鐘である。
  上端に懸垂用の竜頭と特殊な小筒のある朝鮮式の鐘で、三原鋳物師の鋳造作品
  としては市内最古のものである。高さは1.10メートル、口径64センチメートル
  である。

  この鐘は、天正4年(1576)に鋳造されたもので、江戸時代以降、三原鋳物師
  として史上に名を残した竹原屋初代吉井信正の作である。
  なお、つぎの銘がある。

  日本第一唐 
  安芸州 
  小早川拾遺隆景公智臣
    井上伯耆守藤原春忠
    鋳之者也   噫
  旹天正八年丙子花朝吉日
    大工竹原屋吉井左衛門尉
    信正 敬白】
  (現地解説板より。漢数字は戦国ジジイが変換)


あんまり鐘のことはわからないんだけど、
和鐘ってのはタテヨコにラインが入ってて、「間」を作り出してる。
それに対して、妙正寺のは確かに朝鮮鐘の形式なんだけど、
様式がどーのって以前に、随分となで肩でのっぺりしてるな・・・(笑)。

大抵はもっと、肩の部分ががっしりしてるものなんだけど。

 
銘の中にある「旹」は、「じ」「とき」と読むらしい。
天正4年の鋳造で、天正8年の奉納ってこと?

オーナーの井上春忠は、隆景の臣。
毛利元就による井上一族の粛清は、毛利ファン以外にはあまり
知られていないかもしれないけど、春忠は粛清を逃れた生き残りの一人。

粛清には隆景も参加してるんだけど、それについては
また別のところで・・・

でも、春忠の名前は知らなくても、有名なエピソードに
関わりを持つ人です。

安国寺恵瓊が信長様の死を予言したとされる有名な一文、
『高ころびにあおのけにころばれ候ずると見え申候』は
この春忠ともう一人あてに恵瓊が出した書状に含まれるもの。

毛利家中でいち早くこの文を目にした春忠は、
何を思っただろうか・・・


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最終更新日  2012年10月04日 21時04分10秒
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