カテゴリ:旅日記(中国)
庫裏の先には「看門寮」があり、休憩できるようになっている。
ここで10時のおやつを食べながら、ちょっと休憩。 よし、なんとか11時のバスに間に合いそうだ。 看門寮は比較的最近の建物っぽいけど、戸の引き手なんかも さりげなく凝ってる。 いいなあ、こーゆーの。 看門寮を抜けた左手には、小さなお稲荷さんが。 この奥が、東司・侍者寮・浴場となっている。 こちらは立入禁止。 看門寮の向かいには風雅なトイレがあったので、 ありがたく使わせていただいた(今回、トイレの話が多いな)。 さて、もうちょっと時間があるし、境内をもう一度見よう。 で、僧堂から庫裏の方へ戻る。 「ジジイ、木を撮ってんのか!?」 みたいな写真ばっかだよね。 緑が多くて結構な景観に文句を言う人間もそういないかもしれないけど、 三原ではホント木に泣かされましたよ。 建物を撮りたいんだよ、ワシは・・・ そういえば庫裏のところで書き忘れたけど、 慶長の大改修の時には、新高山城の台所を持ってきて、 その部材を元に再建したって記録が佛通寺の住持記にあるそうな。 だから、庫裏を見るのを楽しみにしてたんだけど、 ここに来てから初めて寛政の大火の事を知ったので、 残念ながら新高山城にあったかもしれない部材を 目にすることは叶わず・・・ 火事はコワイね。 おっ!そういえば、仏殿でひとつお目当てを見るのを忘れた! とここでおもむろに思い出したので、仏殿へ向かった。 それがこちら↓。 【天井の雲龍図は文化7年備中松山の画工、菅南山筆。龍は仏法の守護神であり、 また雲を呼び雨を降らせるところから火難除けの意もある。】 (佛通寺のホームページより) そういえば、京都・相国寺の法堂でも同じようなこと 言ってたっけ・・・ 最初に仏殿を覗いた時の写真にも龍の一部は写ってたんだけど、 何しろ建築ばっかり見てたもんで・・・ 手水舎の屋根には、おかめさん・・・いえ、大黒様がいらした。 これも法常寺と同じだな~。 山門から外へ。 山門の内側には障害物(=木)がなくて、ちゃんと撮れた。 最初からこっちを掲載しておけば良かったかな(笑)。 そして、山門の留蓋は狛犬・・・ ねえねえ、こんな顔の俳優さん、いたよね~(笑)。 山門の内側の蟇股も、表側と同様、小早川紋と浅野紋が仲良く並んで・・・ アレ?小早川と浅野で左右が入れ替わってる。それに、 ここも右三つ巴になっとる! あ、浅野紋も、鷹の羽が逆になっとる!! うわあ・・・透かし彫りって訳じゃないしな。 遊びゴコロ? んじゃ、庫裏の右三つ巴も、うっかりなミステイクじゃなかったのかもな。 今までこーゆーのは見たことなかったような・・・ 今度から、家紋の蟇股は気をつけて見てみよう。 山門を出ると、脇に延びる土塀にラインが入ってるのに気がついた。 そういえば、土塀のラインは格を表してるってツイッターで 見たことあるな。線が多いほど、格が高いんだって。 ここは5本だから、かなり格が高いってことか・・・ と思ってたら、「大本山佛通寺誌」に 【別派を認められた有力な理由の一に、佛通寺の経文の読み方が中国の金山 そのままで特別に違っていることが挙げられているが、開山以来当寺は 寺法も特別に異るものが多い。(中略)因に大本山にされた理由は読経音點の外、 土塀に皇室勅許の印たる5本の線があり(後略)】 と書いてあった。 ああ、そうか・・・将軍家の祈願所でもあるし、一時は 京都五山上位の南禅寺と同格に遇されたほどの歴史を持つんだもんな。 皇室勅許が5本なら、これが最高ランクってことだよな。 なるほどなるほど。 ちなみに、佛通寺が独立して大本山となった理由のもうひとつが、 仏殿のところで書いたように、「屋根が二重なこと」なんだそうです。 山門には、 【境内(参拝と修行の聖域)でカメラの三脚、写生のイーゼル、椅子の 使用は御遠慮下さい】 との貼り紙がある。 ん~ん? 撮影や写生がダメとは言ってないんだな。 地面に突き刺すような足のものは、使っちゃダメよってこと? 平等院鳳凰堂では写生禁止とあって、これはきっと 観光客が多いところで人の流れを妨げるからかな?って想像はつくけど、 佛通寺の理論は私にはわからない。 ミワラには変わったものが色々あって、面白いのう・・・ にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2012年10月29日 20時14分06秒
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