カテゴリ:城(中国)
三原城最終回は、移築門を2つご紹介しましょう。
まずは、順勝寺(場所はこちら)。 【三原市重要文化財 順勝寺山門 三原城内にあった御作事奉行所門を、明治10年(1877)に順勝寺に移した ものである。 築城当時の建築物が、当時の状況を保存して現存するものは非常に少なく 貴重な遺構で、永禄から天正年間の作と推定される。 構造形式 四脚門、切妻造り、本瓦葺き、 梁間2.37メートル、桁行6.0メートル、軒高3.2メートル】 (現地解説板より。漢数字は戦国ジジイが変換) 奉行所の門だから、飾り気もなくてかなりシンプルな造り。 こちらの内部は、実はこうなってます。 門の築造から全く手が加えられてないハズはないけど、 この傷み具合・・・ おそらく、ほぼ隆景時代のものと見ていいんでしょうから、 400年の時の流れをビジュアルで実感できる瞬間(笑)。 さらにはこれ、ね。 おいたわしや~っ!! まあ、華奢な戸だから、こうなるのが自然だよな。 もうひとつ、市内の糸碕神社に移築門があります(場所はこちら)。 【三原市重要文化財 糸崎神社神門 糸崎神社神門は、三原城内にあった侍屋敷門の一つで、明治8年(1875) 生駒氏により当社に寄進され、現在の位置に移築されたものである。 三原城城築当時の建築物のうち、現在するものは非常に少なく、貴重な遺構である。 構造及び形式は、二脚門で桁行5.75メートル、軒高3.67メートルの 切妻造りである。 このほか、三原城関係の遺構に、順勝寺山門(西町)、鐘撞堂(本町)、 安楽寺山門(鷺浦町)などがある。】 (現地解説板より原文のまま。漢数字は戦国ジジイが変換) 順勝寺山門は、三原城14の城門のうちの1つって話もあって、 そりゃウソでしょ~って感じだけど、ここは侍屋敷!? これもウソでしょ~って思うんだよね。 逆ならわかるけど。 だって、風格がすごいもの。 さすがに宗光寺の山門にはかなわないけど、 城門として充分通用するレベルだと思うけどな。 戸も、結構しっかりした造り。 けど、八双のところのトゲトゲは何だ? 犬のオシッコよけ・・・ いやいや、そんなハズは ただの侍屋敷の門に、こんなの付けるか? そして蟇股。 ↓こんなシンプルな板蟇股もありますが、 彫刻つきの本蟇股もあります。 肘木にも彫刻なんか入ってるし。 蟇股の時代判定ってのも難しいようなので、一概には言えませんが、 一般的に後世のものほど目もぼんやりするし、股(足)ものっぺりと 開いてくる傾向にある。 (蟇股の各部名称については、「三原編(22)」をご参照ください) 解説には糸崎神社の門の築造時期については触れられていないけど、 蟇股のアウトラインと彫刻の感じからすると、比較的古い時代のものかな・・・ って感じがする。 せいぜい、天正中期くらいまでには造られたものかな~。 あ、でも私はプロじゃありませんのでね。 あくまで蟇股から推測した、シロートの見立てですので誤解のなきよう。 けど、この蟇股だし、この重厚さだし、 やっぱこっちが城門じゃないのかな~。 まあ、蟇股なんかはだいぶ後になってから付け替えられてる可能性もあるけど。 このほか、一時期三原城内にあったといわれる門が 極楽寺に移築されてますが、あれは元は新高山城のものだったと 伝えられているものなので、三原城シリーズではなく、旅日記の方で紹介しています。 (極楽寺の移築門はこちら) それから、糸崎神社の解説の中に「安楽寺山門」とありますが、 順調に予定がこなせたら行こうと思ってました。 ・・・しかし、安楽寺は佐木島という小島にあり、船で約30分。 2日目に頑張りすぎたせいで3日目はへろへろになり、ペースダウン。 佐木島に渡ると半日は使うし、ちょうど九州で台風が猛威を奮ってた時だったので、 30分程度の航路といえど見送った方が無難かもしれん・・・ と、総合的に判断し今回は諦めました。 三原城シリーズの最初にも書きましたが、遺構とか石碑だけじゃなく、 三原市内にはところどころ城下町の面影を残す所が結構あります。 城下町ったって、「小江戸情緒」とかチャラい意味のじゃなく、 戦略的城下町だけどね。 その気になってあちこち歩けば、かなり城下の雰囲気を楽しめる町だと 思いますので、是非ご自分の足で歩いてみる事をお勧めします。 にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2012年12月06日 13時30分55秒
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