2015/06/25(木)23:44
叡山攻め(193) 百枝社~さかのぼり穴太衆
市殿神社を出て、さらに北へ向かう。
おけいはん坂本駅から本坂の入口付近までの間には、
日吉大社の表参道(日吉馬場)を挟んで南北に延暦寺の里坊(さとぼう)が点在する。
市殿神社から少し行った先にも里坊が固まっていて、
穴太衆積の石垣が連なる道は多くの観光客が歩く日吉馬場からちょっと入っただけなのに
静かで重厚感のある歴史的景観へと変貌する。
次のお目当てがこの近くにあるということしかわかっていなかったので、
少し戻ったりウロウロしながらしばらく先まで歩いてみると、
里坊の一角にようやく次のお目当てを見つけた↓。
何の看板があるでなし、少し奥まった場所ということもあって
歴史好きな人でなければここまで来ることはまずないだろう。
それぐらい、小さくて地味な神社。
さてここは何かといえば、最澄の父・三津首百枝(みつのおびとももえ)を祀った
百枝社といいます。
(場所はこちら)
マピオンの地図だとここは「天満宮」と表示されていて、
実際中へ入ると2つのお宮が仲良く並んでいる↓。
え~、たぶんこちらが天満宮↓。
で、こちらが百枝社↓。
境内にはもひとつお堂もあったけど、扉が閉まっていてよくわからなかった。
最澄の生誕地から両親を祀る神社へ詣でて、
満足してこれで3日目を終わりにすることにした。
石垣を見ながら日吉馬場へ戻る。
さてこちらが日吉馬場(ひよしのばんば)↓。
元三大師御廟への参道は猿馬場(さるのばんば)、龍馬場(たつのばんば)だったし、
坂本から南にある駅は松ノ馬場(まつのばんば)という。
この辺じゃ「馬場」を「ばんば」と読むらしいな。
ここから日吉大社までの道は、車道とは別に歩道が設置されているので↓
観光客は見事な石垣などを眺めながらゆったり参道を歩く。
この時はオフシーズンでしかも夕暮れ時だったので、
観光客の姿はなく高校生や地元の人が歩くだけだった。
一旦駅の方へ向かって、まだ見たいものがあったのを思い出して
また日吉神社方面へ向かう。
これもこの付近の参道沿いにあるということぐらいしか把握してなかったけど、
周りを見回しながら歩いていくと小さなお堂があった↓。
お堂には何も書いてないし、もちろん解説板なんか立ってない。
でもこんな感じのお堂はこの付近にはこれしかなかったので
恐らくこれだろうと思って写真に収めた。
帰ってから手持ちのガイドブックとよく照合してみたら、
やっぱりこれでビンゴだったらしい。
でこのお堂は、最澄の「えな」(胞衣:胎盤のこと)を納めたえな塚だとされます。
場所はうろ覚えだけど、生源寺から日吉神社方面へ向かっていって
進行方向左側の歩道沿いにあったんじゃないかな。
これでホントに終了。
東へ向かってJRの駅を目指す。
おけいはんの駅の方が近いんだけど、電車に乗ってる時間はJRの方が短いのだ。
ずんずん歩いていくと、日吉神社の大鳥居↓
のすぐ近くには大神門(だいじんもん)神社という地味な神社があった。
ここの主祭神の天石門別神(あめのいわとわけのかみ)は解説板によると
日吉大社の門を守る神だそうで、社殿の写真はボケているので載せませんが
境内には見事な大木があった↓。
平成15年時点で樹齢約200年というこのムクノキは、
落雷や老朽による損傷が激しく危険となったため、
平成11年に上部だけ伐採されたそうな。
周囲約4mというから、かつてはそれは見事な眺めだったろう。
おけいはん坂本駅から東側はだいぶ現代的な町並みになるけど、
途中にはこんな建物もあって↓
合掌造りかよ、すげえな・・・
とか思いながらてくてく歩く。
駅に着くころには1日分・・・いや3日分の疲れでヘロヘロだったけど、
こんな楽しいスナックの看板が疲れた心と体を癒してくれる↓。
殿様気分にさせてくれる接待がウリなのかな
さてね~、この後は電車に乗って山科へ戻る訳ですが、
一旦ここで中断しまして、2011年の旅から付近の名所を2つご紹介します。
その旅の時に坂本で撮った写真はほかにもありますが、
今回さかのぼって紹介するのは戦国ファンならではのスポット。
当時は戦国モードで坂本を歩いてますのでね。
まず最初はこちら~↓。
ふっふっ、個人宅じゃありませんよ。
あいや、お家でもあるかもしれないけど。
ここは
穴太(あのう)衆積を今に伝える、粟田建設様で~す。(場所はこちら)
こちらでは地元・坂本の町並みの石垣のほか、
安土城や篠山城などあちこちの城郭の整備もしておられる。
わたくしが粟田建設を知ったのは、彦根城を紹介した番組で
14代目の石匠が解説をしておられた時だった。
日吉馬場あたりに穴太衆積の解説板があったので、ご紹介しましょう。
【大津市指定文化財 史跡 穴太衆積みの石垣
坂本では、延暦寺の里坊のみならず、街角の神社や古い民家の石塀などに特異な石積みが
みられます。これは「穴太衆積み」と呼ばれ、坂本の大字「穴太」の一帯に古来より
居住し山門の土木営繕的な御用を勤めていた「穴太衆」の技術によるものです。これは、
門前町の重要な景観要素となっており、ことに日吉大社の表参道の左右の里坊地帯には、
美しい代表的な遺構がみいだせます。その特色は、加工しない自然なままの石面を
巧みに用いて石積みの面を構成し、特にコーナーの整理された自然な美しさと堅固さに
あります。】
TVで観た14代目の解説では、石を決して立てずに横に寝かせ、
奥行きと設置面を増やすことで安定性を確保する、てな内容だったな。
JR駅前にある解説板にはこういう説明があります。
【穴太衆積みの特徴 堅牢さの秘密は石の内側に
石積みの技としては、大きく分けて、自然石をなんの加工もせず、そのまま積む「野面積み」
と、石の面を槌でたたいて、おおざっぱに加工した石を組み合わせて積む「打込みハギ」、
のみで加工した石を間隙なく組み合わせて積む「切込みハギ」の三種類があると
言われています。
穴太衆積みは「野面積み」を代表する積み方で、一見粗野に見えますが、堅牢さは比類ない
ものがあります。その秘密は、積み石の比重のかけ方にあって、表面から1/3奥の
ところに重力がかかるように設計されており、さらに土の水ぶくれによる崩壊を防ぐため、
石垣の奥に栗石層、その奥に小石をつめていくなどして排水を良くする工夫が施されて
います。このように目に見えない部分に、穴太衆積みならではの技が潜んでおり、それが
何百年の風雪に耐え得る堅牢さを生み出しています。】
うんうん、TVでも栗石を丁寧に詰めていく様子が映ってたな。
観光客が多く集う近世城郭によく見られる、隙間なくぴっちり組み合わされた
切込(きりこみ)ハギも大したもんだと感心しますが、
無骨に見える野面(のづら)積も裏では実に丁寧で細かい作業が行われてます。
まあ、実際の工事現場なんてそうそう近くで見られるもんじゃないけどね。
粟田建設様の入口は通りからは少し奥まってはいるけど、
写真の通り大きな石を使った重厚な石垣がひときわ目を引く。
社のホームページによると、創業は江戸初期だそうな。
坂本へ来たら石垣ファンはぜひ粟田建設様も見てってね~。
て、ただ通りから見ることしかできませんが(笑)。
↓プチ彦根城よ
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