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戦国ジジイ・りりのブログ

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2017年10月22日
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カテゴリ:江戸めぐり
さて、平安期の終わりにはこの方の登場です。

     浅草・浅草寺26


 【源頼朝の参詣

  治承4年(1180)、源頼朝は平家追討に向かうため浅草の石浜に軍勢を揃えた際、
  浅草寺に参詣して戦勝を祈った。やがて鎌倉に幕府を開いた後も信仰を寄せた。
  鎌倉鶴岡八幡宮造営に際しては浅草からも宮大工を召している。このように武将や
  文人らの信仰を集めた浅草寺の霊名は次第に全国に広まっていった。】

ものによっては、文治5年(1189)の奥州征伐の際にも頼朝は戦勝を祈願し、
土地を寄進したとある。
浅草寺のホームページにもそう書いてある。

このところ、ブログをサボって休んでいたわたくしですが、
勉強だけは続けておりました。
ぼちぼち本編を再開しようかな~と思い始めた頃はちょうど『吾妻鏡』を読んでいたところで、
まだ義経が謀叛を起こしたあたりまでしか読んでいなかったので、少し先へ飛んで
奥州出陣にからむ浅草寺の記述を探したのですが、そういう記述は見つけられなかった。
『吾妻鏡』に書かれていると言っている人もいるのに。

『吾妻鏡』を読む限りでは、頼朝という人はなかなか信心深い人だったらしく、
特に法華経を大切にしていたので、誰かと対面したりしても、
相手が法華経信者だったりすると途端に気を許して待遇を良くしたりしている。
まあ囚人生活が長かったから、心のよりどころにしていたんだろうな~と思った。

で、自分のステータスが上がるにつれ、寺社の保護なども積極的に行うのですが、
奥州征伐にあたってはかなり力を入れていたらしく、縁の深い寺社に
念入りな祈祷を依頼している。

まずは、当然の鶴岡八幡宮。
それから武蔵の慈光山。
こちらには自身が日頃から崇敬していた愛染明王の像を送りつけ、
愛染様を本尊として戦勝祈願に専念するようよくよく命じたとある。

それから、出陣前にはちょうど出雲の杵築大社の神主が鎌倉に来ていたそうで、
出雲に帰って丹精込めて祈祷するようこれまたよくよく命じている。
祈祷の目的ははっきり書いてないけど、時期的に当然奥州での勝利と思われる。

あと駿河の帝尺院にも田地を寄進して勝利の祈祷を行わせている。

他には、舅の北条時政が伊豆国北条の先祖ゆかりの地に
伽藍の造営をしている(願成就院)。

出陣の前夜には、伊豆山の僧・良暹に留守を守りしっかりと祈祷するように命じ、
さらに出発してから20日ののちに邸の後ろの山に仏堂を建て、
頼朝が年来本尊としていた正観音像を安置するように言い渡している。
建てるといっても柱ばかりの簡素なものだけど、それは他の大工などにはさせずに
良暹自ら建てるようにと厳命している。

んで、出陣してからは途中の下野で宇津宮(うつのみや:現宇都宮神社)社に祈願をし、
無事に征伐ができたなら、捕虜1人を神職に進めますとの願を立てて
上矢を奉幣したとある。
その言葉の通り、帰路にまた宇津宮社に立ち寄り、荘園1ヵ所を寄進して
とある捕虜の一族を神社の職掌としたそうな。

頼朝の遠征中には妻の政子が女房に鶴岡八幡宮でお百度詣りをさせ、
頼朝が帰還してからは鎌倉長谷にある甘縄明神社にお礼参りをしているので、
甘縄社にも政子が願をかけたものと思われる。

と、身内を含めあちらこちらに祈りちらかしたことが「吾妻鏡」には書かれているけど、
浅草寺に大々的な祈祷を依頼したとの記述は見受けられない。
もちろん、書いてないからそういう事実がなかったという断定にはならない。
このページ最初の引用文にある、鶴岡八幡宮造営にあたって
浅草から宮大工を招集したというのは有名な話なので、
当時も浅草は充分進んだエリアだったんだろうし、
石浜まで来れば古刹に立ち寄るという可能性は充分にあるだろう。


さて、現地の解説板では頼朝の後はイエアスまで時代が飛ぶ。
が、鎌倉幕府と江戸幕府のあいだの室町幕府将軍も
浅草あたりへ来た記述が「太平記」にある。
浅草寺には直接の関係はないものの、ちょっと面白かったので
ここで紹介しておきましょうかね。

時は足利尊氏の弟・直義が急死した翌年の1352(正平7年/文和元年)。
南朝方の北畠親房らが中心となって京と鎌倉の東西の都の奪還に乗り出すと、
新田義貞の遺児や中先代の乱を起こした北条時行、
さらには直義派の面々も参戦したといわれる。

尊氏は現在の東京都小金井市および府中市あたりで新田軍を迎え撃ち、
かなりの激戦になったらしい。
新田義貞の三男・義宗は

「尊氏は天下にとっては朝敵。
 俺にとっては親の仇。
 今こそ尊氏の首を取って軍門にさらす時!!」


と、他の兵には目もくれず、ただひたすら尊氏の所在を示す丸に二引の大籏を目指して
遮二無二尊氏を追い続けた。
逃げる方も必死で馬を走らせてとうとう石浜までやって来た。

尊氏はもうこれまでと鎧の上帯を切って投げ捨て、
今しも己の腹に剣を突き立てようとしたが、必死にいさめられ、
近習の20騎ばかりが引き返して敵を足止めし討ち死にする隙に
対岸へ駆け上がることができた。
新田義宗は歯噛みしたが、すでに日が落ちていたのでやむなく本陣へ引き返した、とな。
(「太平記」武蔵野合戦の事)


ま、「石浜」の具体的な場所については諸説あるらしいんだけど、
浅草近辺とは言えるだろう。
当時はまだ付近の干拓もされてなかったし、水っぽい土地ではあったもんね。
場合によっては浅草は尊氏ご臨終の地だったかもしれないと妄想すると
ちょっと楽しいうっしっし



で、解説板に従い今度は江戸まで飛びます。

     浅草・浅草寺27


 【徳川将軍の篤い保護

  天正18年(1590)江戸に入った徳川家康は天海僧正の勧めで浅草寺を祈願所と
  定め、寺領500石を寄進した。元和4年(1616)には家康を祀る「東照宮」の
  造営を認め、随身門(現、二天門)も建立されるなど浅草寺への信仰は篤かった。
  寛永年間に観音堂が炎上した際も徳川家光により慶安2年(1649)再建された。
  以後、関東大震災にも倒壊せず、国宝観音堂として参詣者を迎えた。だが、昭和20年の
  東京大空襲により焼失、現在の本堂は昭和33年に再建された。】
 (【】内はいずれも現地解説板より。漢数字は戦国ジジイが変換)

うむ・・・
説明のためのスペースは限られているし、これはこれで致し方ない。

が、過去の記事から少しおさらいしますと、天正18年のイエアスの入府は確か。
ただ、天海とイエアスの出会いには2つの説があり、2つの説は17年もの開きがある。

解説文では天正18年説を採用し、天海が祈願所の進言をできるだけの関係を築いていたとする。
でも天正18年の出会い説の方は、その後しばらく2人の接点が確認できないことから
ちょっと疑問視されている。
もし天正18年に天海が祈願所の選定に関われる関係があったのなら、
その後10年以上も空白の期間があるのはおかしい気もする。

大道寺友山重祐が語る菩提寺と祈祷寺のなれそめについては
「上野第二編(16)」で紹介した通りで、そちらではただ単に
イエアスの入府当時、江戸に浅草寺以外にロクな天台の寺がなかったからだとしている。
おおかた、そんなところだろうなとわたくしも思っている。

関東は歴史的に天台の強いエリアではあるけど、
割と内陸の方により強いカラーが集中してるように思うんだよな。
いわゆる「江戸市中」にはあまりそういう寺はなくて、
ゆえに浅草寺に白羽の矢が立ったんじゃないかという気がしている。


さてね・・・
最後の浅草寺の記事を書いたのが、去年の11月18日。
なんともう1年近くの日々が経とうとしております。
ブログを書いてる時間がなかった諸事情もありますが、それにしたって1年。
日帰り(それも半日)だからスコーンと上げられると踏んでスタートしたはずなのに、
なんでここまで滞ったかとゆーと、江戸初期の浅草寺の歴史が
わたくしの食い付きポイントと見事にクロスして、またもや巨大なジャングル、
もしくはシュヴァルツヴァルトの黒い森をえんえんさまよい歩いていたからなのです。

じゃ~、1年経って抜け出せたのかとゆーとそういう訳でもなく、それどころか

「もうヤダ・・・
 浅草寺、書きたくねえ~~~~・・・」


って拒否反応が出るようになってしまいました・・・

ホントは、別のシリーズを始めたい。
もっと「安産」で済むハズのネタも沢山あるし。
でもいつまでも中断したままという訳にもいかないので、
1年ぶりに自分にムチ打って再開することにしました・・・でもね。

「考えすぎるのやめよう。
 ライトに行こうぜ、ライトによ音符


というスタンスに切り替えたので(←どこがムチじゃ)、
極力ライトに続行しますダッシュ


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最終更新日  2017年10月22日 23時12分31秒


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