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マル0804

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Mar 28, 2005
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カテゴリ:日記
三菱零式艦上戦闘機52型~64型(下の性能見にくいですけど・・・)
事実上、22型以降発展的余地を失った零戦だったが、22型が就役した頃にはラバウルとガダルカナルの
中間に位置するブーゲンビル島に飛行場が建設され、32型でも侵攻可能になっていた。しかも戦線では
速度と火力に勝る米軍戦闘機の一撃離脱戦法の前に零戦の損害は増える一方であり、用兵側はさらなる
性能の向上を三菱に促した。
仮称「零式艦上戦闘機22型改」の名称で試作された本機だったが、さらに出力の大きいエンジンには換装
できず、22型と同じ栄21型のままで、機体の空力性能の洗練によって性能の向上を行うしかなかった。

まず、速度を上げるために主翼幅は再び11mに短縮され、翼端折りたたみ装置は廃止された。しかし32型の
ように角形には整形されず、22型までと同様、円弧状に形取られた。これにより空力ロスを抑えるのが
狙いだった。これにより補助翼の外側は翼端まで達し、逆に幅は切りつめられて内側は32型と同じ位置に
戻された。もちろんバランスタブは廃止。離着陸性能を維持するため、フラップ幅は増大。外側はリブ1区画分
延長された。

そしてこれまでカウリング左右各1箇所ずつの集合排気管から排出されていたシリンダーのガスを、左側5本
右側6本に分けて開口。推力式単排気管にし、ロケット推進効果による速度向上を狙った。
(ただし、52型の極初期型(実戦評価機)は22型甲の主翼を短くしただけのもので、集合排気管である)
なお、翼幅の短縮により急降下制限速度は32型と同様、667km/hに引き上げられた。

それに伴ってカウリング形状が少し変化し、カウルフラップや前面に開口する気化器空気取り入れ口の形状も
変更された。主翼の20mm機銃は22甲型と同様の長銃身タイプの99式2号3型。
内部艤装関係では、エンジン部の消火装置を廃止し、主翼内燃料タンクに自動消火装置を設けた。しかし
前線部隊から要望の強かった防弾装備は装備できず、このあとの52型の運命を悲劇的なものにした。
雑音ばかりで聞こえなかった無線電話機も、96式から3式空1号無線電話機に換装され、これに伴いアンテナ
支柱が短縮された。

以上の改修を盛り込んだ52型の1号機(22型甲の904号機を改造)は、昭和18年6月に初飛行。計算通り
最大速度565km/hを出した。エンジンが栄21型のままで、自重で13kg、全備重量では54kg重くなったにも
かかわらず、速度が32型よりも20km/h、22型よりも25km/h向上したことは成功と言えた。
水平面での旋回能力や航続力はやはり落ちたが(32型と比べても300kmほど落ちた)このころの戦局では
それらはさして重要な項目ではなくなっていた。

海軍はただちに有用と判断し、三菱に量産を命じるとともに、中島飛行機に対しても準備ができ次第、21型の
生産を打ち切って52型の生産に入るよう指示した。量産は昭和18年8月から始まり、8月23日には
零式艦上戦闘機52型(A6M5)の正式名称で兵器採用された。(三菱で747機生産)
しかしこの時期、米軍は零戦に倍する2000hpエンジンを搭載する、艦上戦闘機F6Fヘルキャットを実戦投入して
おり、1000hpと2000hpの勝負では零戦がいかなる改修を行おうと、まともに対抗できるはずがなくなっていた。
しかし零戦の後継機「烈風」は、まだ試作機すら完成していない状況で、用兵側は零戦を改造しつつ使い
続けるしかなかった。

18年秋には主翼の20mm機銃をベルト給弾式にし、携行弾数を各銃125発に増やした99式2号4型に換装して
主翼外版厚を増して、急降下制限速度を740.8km/hに引き上げた52型甲型(A6M5a)が登場。三菱で391機
あまりが生産された。
さらに19年4月には機首上部兵装のうち右側を3式13mm機銃に換装し、風防正面に45mm厚防弾ガラスを追加。
両主翼下面に150リットル入り増漕を懸吊できるようにした52乙型(A6M5b)が登場した。(三菱で470機生産)
ここで零戦にもようやく防弾装備が取り入れられるが、米軍のそれと比較すると、申し訳程度のものであった。

19年9月にはさらに武装と防弾を強化した零戦52丙型(A6M5c)が登場。20mm機銃の他に両主翼に3式13mm
機銃を1挺ずつ追加。主翼下面に30~60kg爆弾、及び10kgロケット弾を懸吊できるようにして操縦席直後に
55mm厚防弾ガラス、8mm厚防弾鋼板、操縦席後方には内袋式防弾タンクを追加した。(三菱で93機生産)

だがこれらは言ってみれば苦し紛れの改造でしかなかった。52丙型に至っては、全備重量が3000kgを超えて
しまい、速度は541km/hまで低下。見た目の勇ましさとは裏腹に運動性能は零戦各型最低の性能に落ちて
しまった。
前線部隊ではわざわざ重い防弾装備や13mm機銃をはずして出撃するほどであった。当然、対戦闘機には
向かず、B-29迎撃や特攻機、もしくはオトリとして使われた。前線ではもはや零戦では戦えないことが明らかで
あり、零戦は完全に制空戦闘機としての姿を失い、単なる旧式戦闘機となってしまった。

だが海軍は零戦を作り続けるしかなかった。最前線では次々と陸海軍機が消耗していくため、これを補充
しなければ戦争を継続できなかったからだ。なお三菱での52型系の生産機数は計2131機。中島は3573機。
両社合わせて5704機であった。零戦の総生産機数10370機の、実に半数以上を占めている。

もう零戦の寿命も尽きていたが、依然として後継機が現れないため、海軍は三菱に対しさらなる性能向上を
求めた。19年12月には52型丙型のエンジンを水メタノール噴射式の「栄31型」(離昇出力1130hp)に換装した
53型丙型(A6M6c)が完成した。水メタノール噴射による瞬間的な出力アップで、52型丙型の低下した性能を
蘇生しようとしたが、テストの結果、52型丙型よりわずかに5km/hしかアップしないことが分かり
試作機1機のみで終わった。

やがて特攻作戦が通常の攻撃手段として行われるようになると、戦闘爆撃機の需要が増した。これに伴い
海軍では52型丙型のエンジンを、「栄31型」及び水メタノール噴射装置の併用を廃止した「栄31型甲」に換装し
胴体下面に埋め込み式に爆弾、増漕の懸吊装置を追加。水平安定板、胴体下面外板厚を強化した零戦63型
(A6M7)を昭和20年5月より三菱、中島両工場で量産させた。正確な量産機数は不明だが、この63型が
零戦最後の量産型となった。
なお、従来までと同じ栄21型エンジンを搭載した零戦62型というものも存在していた。

栄エンジンによる性能の向上が限界と見た海軍は、昭和19年11月には52型丙型のエンジンをかねてから
三菱側が提案していた大型機用「金星62型」エンジン1500hpの換装を受け入れ、仮称「零式艦上戦闘機
54丙型」(A6M8c)の名称で開発を命じた。栄エンジンと比べて直径が103mm大きいため、カウリングは
全面的に再設計された。
胴体前部、風防前方も形状の変更が行われ、機首武装はエンジンの大型化と重量増加による重心位置
変化を抑えるために廃止された。スピナーも彗星33型、43型と同じ先の尖った大型のものに変更されている。
B-29による爆撃が激化して開発が難航したが、試作機2機が昭和20年4月、5月に続々と完成。テストの結果
最高時速572km/h、高度6000mまでの上昇時間6分50秒と、防弾装備のない52型を少し上回るほどの性能を

示し、海軍は即座に有用と判断。昭和20年7月に零式艦上戦闘機64型として量産を命じたが、すでに空襲に
より生産工場が壊滅しており、量産機は1機も完成しないまま終戦を迎えた。
この64型では狙い通りに52型丙型の性能が蘇生されたが、たとえこれが実戦に間に合っていたとしても
時速600~700km/hのF6Fヘルキャット、P-51Dムスタング、P-47サンダーボルトなどの大馬力戦闘機の前には
すでに時代遅れであり、色あせた存在でしかなかったと言える。52型登場時点で、もはやF6Fには対抗できなく
なっていたわけであり、当時よりも燃料事情が悪化し、搭乗員の質的低下、米軍との戦力格差が開いた状態
では、もはや零戦のちょっとした性能向上など、悪あがきでしかなかった。

結果として零戦が本来の制空戦闘機としての性質を維持できたのは、22型までであり、第一線戦闘機としての
性能を保持し得たのもこの22型までと言っても過言ではない。52型以降は零戦本来の格闘戦能力や航続力を
犠牲にして武装を強化し、速度向上をはかり、重い防弾装備を追加していき、どんどんバランスを崩していった。
だが戦局の変化を考慮すればこれは当然の措置であり、こうしなければ零戦は生き残れなかった。
本来なら52型の登場時点で、次期主力戦闘機が登場しなければならなかった。
諸元表
型式 零式艦上戦闘機52型
(A6M5、a、b) 零式艦上戦闘機52丙型
(A6M5c) 零式艦上戦闘機63型
(A6M7) 零式艦上戦闘機64型
(A6M8c)
正式採用年月日 昭和18年8月 昭和19年9月 昭和20年5月 昭和20年7月
生産機数 52型:747機
甲:391機
乙:470機 三菱93機 生産機数不明 三菱:試作2機
全幅 11m 11m 11m 11m
全長
(水平静止時) 9.121m 9.121m 9.121m 9.121m
全高
(三点静止時) 3.57m 3.57m 3.57m 3.57m
翼面荷重 128.6kg/ 147.6kg/ 141kg/ 148kg/
自重 1894kg 2155kg 2050kg 2150kg
全備重量 2679kg 3150kg 3000kg 3150kg
許容過荷重 3083.07kg 3400kg 3800kg 3800kg
発動機(馬力) 栄21型(1130hp) 栄31型(1130hp)
(水メタノール噴射式) 栄31甲型(1130hp) 金星62型(1500hp)




量 胴体内 60L 60L - -
翼内 510L 360L - -
落下増漕 320L 300L - -
最大速度 565km/h 540km/h 543km/h 571km/h
航続距離(正規) 1550km 2110km 1520km 1000km前後?
実用上昇限度 11740m 11050m 10180m 10780m
離陸滑走距離 179m 248m - 200m
武装 火器 胴体内7.7mm×2
(乙型は右側13mm)
翼内20mm×2
(弾数100発×2)
(甲型から125発×2) 胴体内13mm×1
翼内20mm×2
13mm×2
弾数(13mm:240発×2)
(20mm:125×2) 胴体内13mm×1
翼内20mm×2
13mm×2
弾数(13mm:240発×2)
(20mm:125発×2) 翼内20mm×2
13mm×2
弾数(13mm:240発×2)
(20mm:125発×2)
爆弾 60kg×2
30kg×2
250kg×1






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Last updated  Mar 28, 2005 07:50:51 PM
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